昨日のブログの続きになります。「応神天皇」についてです。

 

1. 「応神」という諡号の検証

 

    昨日のブログで、「応神」の「応」は「鷹+心」であり、「応神」で神キリストから権威として授けられた「聖霊の王」であるということを報告しました。

 

    一方で「応神」で「神が応じる」と読むことができると思います。「古事記」をお読みになった方はよくおわかりと思いますが、仲哀天皇が亡くなった後、神功皇后(応神天皇はお腹にいらっしゃった)から応神天皇に至るまで、様々な神がお現れになっています。

 

① 大猪=万軍の主イスラエルの神様

 

   is6689ブログで明らかにされていますが、応神天皇から皇位を奪おうとした香坂王を食い殺した大きな怒りの猪は「父なる神様=天地創造の神=万軍の主イスラエルの神」です。天皇の正統を守られる聖なる神です。神が応神天皇を守っていらっしゃいます。

 

② 伊奢沙和気大神

 

   また福井県の敦賀に応神天皇が居られたとき、「伊奢沙和気大神」が応神天皇に対して、「御名」を替えてほしいと仰います。他の天皇のところでは出てくる逸話ではありません。また、「御名」を替えてほしいと仰るということは、それほど神が応神天皇を「親しい=従順である」と思っていらっしゃることを意味すると考えます。

 

   ところで、 「伊奢沙和気大神」とはどのような神でいらっしゃるのでしょうか。「奢」は「ふんだんな/豊かな様」を表します。「沙」とは「砂ような細かい様」です。「和」とは「和を以て貴しとなす」の「和」ではないでしょうか。「伊」はこれまでもご報告してきたように、「伊吹」の「伊」です。総合すると「伊奢沙和気大神」とは、「ふんだんでこまやかな「和」をもたらす「伊」の気をお授けくださる神様」と理解できるのではないでしょうか。私はこの神様は「主イエス・キリスト」を象徴しているのではないかと考えます。

 

   新約聖書のあらゆるところに書かれていますが、「イエス・キリスト」は罪深い人間と父なる神様との間に和解をもたらしてくださる方です。また、主イエス・キリストの愛は深く、すべての人間に向けられています。であれば、「伊」の「和」をもたらす「ふんだん」で「こまやか」な「気」をお持ちになる神様は「主イエス・キリスト」を意味すると考えられます。

 

   「主イエス・キリスト」が聖霊を授けられた「応神天皇=聖霊の王」であるからこそ、「神」は「御名」を替えたいと仰るという表現で「神が応えていらっしゃる」ことを意味しているのではと思います。(応神天皇は神からいただかれた御名を名乗られることを許されたことになります)

 

 

③ 八幡大神

 

    「応神天皇」と言えば、古事記や日本書紀には出てきませんが、「八幡大神」を想起される方も多いと思います。多くの神社で「八幡大神=応神天皇」とされているところがありますが、それは誤解です。「八幡大神」は元は「やはた=やあた」の大神です。そして「八咫」は「やあたの約」です。

   「八咫=八尺」です。「1尺」は広辞苑を調べると「1メートルの33分の10」です。「八尺」を計算すると、「8」×「33分の10」です。皆さんも計算してみてください。わたしは、最初大感動をしたのですが、計算結果は、「2.4242424242424・・・」と「24」が永久に続くのです。「24」は言うまでもなく、「父なる神=天地創造の神=万軍の主イスラエルの神」を象徴する数です。つまり、「八幡大神」は「万軍の主イスラエルの神」です。(詳細は、is6689ブログ2015年12月15日の記事をご参照ください)

 

    ただ、上記誤解は、逆に言うと「応神天皇」と「万軍の主イスラエルの神」とが「近しい」ということを意味するのではないでしょうか。まさに、「応神」であったからこその誤解であったと考えます。

 

2. 近江との関わり

 

    こちらも「古事記」をお読みになるとお分かりになるかと思いますが、応神天皇の段では、よく近江の国が登場します。近江の国と関わりが深いということです。実際の初代天皇とのかかわりが深いということは、最重要の地であると考えてよいのではないでしょうか。

 

   古事記に描かれる中で、宇遲能和紀郎子の母である「矢河枝比賣」を妻にお迎えになる際も、近江の国に行幸されています。その時に御座所が設けられてたところが「日牟礼八幡宮」となっています。年を経た後、御座所の後に「日輪の形を二つ見る」という奇端があったとのことで「日群の宮」とも呼ばれます。徳之島伊仙町の万世一系の天皇家が「重ね24日輪の紋」を代々継承されてきたのは、この奇端から来ていると思われます。

   そして、万世一系の天皇家の皇位を守る「万軍の主イスラエルの神=八幡大神」が祀られるようになりました。それが今「近江八幡市」となっています。

 

    is6689ブログ2015年12月13日と15日のブログで、万世一系の天皇は、「近江八幡」は世界の中心と仰いました。我が先祖の藤原不比等は、近江八幡を「天降りたまふ神の誕生の地」と感じたという詠を残していますし、同じくその子の藤原武智麻呂(南家始祖)も「藤氏家伝」の「武智麻呂伝」にて「近江国は宇宙(あまのした)に名有る地なり」と言っています。

   天皇家のかかわり、それを御支えする藤原家の感覚からして、近江八幡はおそろしく神聖な地との理解となります。

 

   そして、昨日気付いたことですが、近江八幡市白王町に「伊崎寺」という天台宗の寺があります。333mの神聖なる長命寺山に連なる山にある寺で、8月1日に「棹飛び」が行われることで有名なお寺です。

 

 

   読者の方は、「伊」という字がついているだけで、父なる神様・神キリスト様に関わりがあると感じられると思いますが、この寺の開基にはなんと、三位一体の神である「蔵王権現」を感得された聖霊の人とである「役行者」が関わっておられます。しかも、役行者がこの地を見つけたのは、驚くことに「猪」に導かれてのことだとお寺のHPの「由緒」に記載されています。

 

   つまり「伊崎」というところは、聖霊の人が「父なる神=天地創造の神=万軍の主イスラエルの神」に導かれた地なのです。ちなみに、「猪先」が「伊崎」に転じたようです。従って、ちょっと話はそれますが、徳之島の伊仙町は「猪仙」町とも言えます。

 

   伊崎寺は「姨倚耶山」といい、伊崎の南西にある「長命寺山」と同じ山号です。長命寺山には「天之御中主神」が祀られています。「天之御中主神」が「万軍の主イスラエルの神」です。ここでも、伊崎と長命寺山の共通性と神聖性が現されていると思います。

 

 

いかがでしょうか。今日は、7月23日、二十四節季の一つ「大暑」の日であり、「新月」の日でもあります。今日の日のお導きは、私へのお導きだけではなく、私を「通して」の皆さんへのお導きと思います。どうぞ皆さんもご検証いただき、信仰を起こしてください。

 

藤原道人