薄紫色の夜の帳は、赤、白、青、緑、そしてピンクのネオンに揺れながら上空を染めていく。
JRと地下鉄名城線そして名古屋鉄道が乗り入れる金山総合駅は、雑多な人混みにモノクロの影を追いかける。
家路を急ぐ人々は、他人にはまったく無関心で、さめた絵の中を歩いていく。
南口を抜けると、広場がありボストン美術館は右側に建つ。
広場では、若者がそれぞれの個性を表現して戯れている。
ラグマットにアジア雑貨を並べている人や、ギターを弾いたグループもそこそこ出ている。
まだまだ寒い冬の夜、人もまばらで、露天をのぞく人もあまりいない。
客待ちのタクシーは、停車している台数も少ない。
南口の端をよく見ると、知り合いの印度人が誰かを待っていた。
ほどなく、むこうもわたしに気づいたのか話しかけてきた。
お互い少しの英語と日本語と、ときどきヒンディ語で話した。
「一昔前は、このあたりにはたくさんの外国人労働者がいたのに、今じゃ不景気で日本には仕事が無いらしく、
ほとんどの印度、中国、アフリカ、ブラジル、パキスタン、バングラデーシュの友人が国に帰ったんだ。」という。
もっとも、外国人は当たり前のように、日本の経済の推移を海外メディアの情報から知り得ている。
そのへんは、一般の日本人よりも熟知しているし、彼らはそれらの情報にとても詳しく敏感だ。
所属するコミュニティーで、一つうわさが流れれば一瞬でこの国から居なくなるのだ。
10億超というまさに人間の森のなかを、凄まじい生存競争の中で生き抜いてきた彼らは、
さながら人間の生の原点である稼ぐという行為に、実に貪欲でそして正直である。
単純で判りやすく、また、彼らはそこぬけに明るく、そしてなによりとても温かい。
彼らの瞳の奥にギラギラ輝くエナジーは、この邦が見失った本質を見据えているとすら感じる。
日本に住んで長いこの印度人は、今度のビザがきれたらもう二度と日本には来ないなどと言いはじめた。
外貨を稼ぐための日本での就労も、さすがにもうこのあたりが潮どきと彼はいいたいのか。
「君はこれからも仕事はあるのか?」
刹那、これが彼に会うのが最後かもしれないと思って聞いてみた。
彼は首を横に2,3度傾けた。
その仕草は、大丈夫だよという意味なのだが・・・。
外食産業も底の底をいく景気の悪さのなかで、大丈夫というその強さは、どこからくるのだろう・・・。
国に残した家族への思いなのか、或いは、この邦を捨て、自国に帰るという逃げ道があるからなのか。
彼とのやがて訪れる突然の別れを予感して、胸の奥からこみ上げる無常への思いを奥歯でかみ殺しながら、
わたしは少し伏せ眼がちに彼を覗いて見たのだが、彼はいつものようにくったくなく笑った。
彼のお目当てが来たらしく、ぽっけから手を出して親指を立てて目配せした。
わたしたちはそれを合図に、「shuba ratri ★」(吉祥な夜をおやすみなさい!)と言って別れた。
いつしか、南口のぽっかり空いた空間を、囲むようにそびえ建つビルの真上に、満月が顔を覗かせていた。
満月の放つ煌々と、そして柔らかな月の光の許に、わたしは暫く立ち尽くした。
梵天にその身を捧げたうさぎは、日本人の観ている月に住んでいるのか確かめたくて、もう一度空を見上げた。
この邦は、なにか訳のわからないものの為に、人を切り捨ててきた。
切り捨ててきたはずが、いつのまにか捨てられる邦へと移行していくのだ。
引き潮の流れは速く、大海は、総てのモノを呑み込んでいく。
誰もが、その摂理から逃れることなどできやしないことを、月はわたしたちに語っているというのに・・・。