消費税を増税すべきである。
ネットでは、そのようなことを簡単に放言する人をしばしば見かけますけど、では、その消費税の増税分を何に使うのか?
まず、ここをハッキリさせるのが先ではないでしょうか?
実際、社会保障が今のレベルのままで、単に財源がないのに高齢化等の様々な要因で支出が膨大になったために消費税増税が必要になるということであれば、未来の私たち日本人の生活は、かなり悲惨な状態になることが予想されます。
もし、我が国の未来について、そのような選択肢しかないのであれば
そうなる前に財産をまとめて外貨に変え、海外に移住するのが賢明な判断だと思います。
何も「日本は増税しないと未来はない」などと主張した上で、反対意見の相手を「嘘つき呼ばわり」し、根拠のないデマや、特定の相手(当然そこには三橋貴明氏なども含まれます)に対する誹謗中傷などをネットで撒き散らす必要はありません。
例えばこちらでも見られるような、当の三橋貴明氏が主張していないような「トンデモ理論」を、さも三橋貴明氏が主張していることを前提にして、その上で氏の主張をバカにするなどというのは、その好例といえるでしょう。
当人たちは楽しいのかもしれませんけど、ハッキリ言って有害無益であり、私自身を含む他の人にとっては迷惑そのものです。
そのような人たちは、そもそも自国の将来性など信じていないのでしょうから、とっとと海外に移住することをおすすめしたいですね。
移住した先で幸せな老後が送れるかどうかは知りませんけど。
それは、まあともかく
そうではなく、例えば
増税した上で公共投資を行い、その上で経済成長のための資金的な裏付けとする
これであるなら議論する価値はあるでしょう。
少なくとも「経済成長」を前提とした議論ですので。
もっとも、帝京大学経済学部経営学科准教授であり、経済学博士の小島寛之氏の見解はこのようになっています。
公共事業の財源はどこからでも同じこと
https://president.jp/articles/-/1050?display=b
公共事業などの財政政策を論じるとき、財源のことが問題にされる。増税によるのか、国債の発行によるのか。前節の視点に集約するなら、財源は大きな問題とはならない。
根本的に考えれば、財源がどうであれ、「購買力の移転」が行われるだけではマクロ集計的には何も意味がないからである。「最終的に誰に購買力が渡るか」が重要なのではなく、その過程で「何かが生産されるかされないか」が問題なのだ。
このことを、国債を例にとって考えてみよう。
政府が国債を発行し、それで得た資金で公共事業を行うとする。このときに生じるのは、まず、国債購入者Aさんから発行者の政府への購買力の移転である。次に、公共事業によって、この購買力は失業者のBさんへ移転される。こう見れば、別に増税を財源とするのとなんら変わらない。ただ、国債発行の場合は、もう一度購買力の移転が生じる、というのが異なる点である。国債償還の年に、国民のCさんから税金という形で元本+利子分の購買力が政府に強制的に移転され、次に、政府から国債購入者Aさんへの同額の購買力の移転がなされる。
このように、単に「お金の動き」だけをクールに見るなら、増税を財源とするのと、国債発行を財源とするのは、「購買力の移転」が現在の一回だけで終わるか、現在と将来の二回にわたるかの違いだけだとわかる。いずれにしても、この購買力の移転自体は重要ではなく、それが何かの追加的価値を生み出すかどうかが大事なのである。
もちろん、以上の帰結は、再三指摘しているように「マクロ的に集計したら」という前提であることを忘れてはならない。国民それぞれを個別に見分けるなら、いろいろ議論すべき余地はある。購買力の移転は、マクロ的に集計してしまえば何の経済的な意味もないが、実際には「ある個人を犠牲にして別のある個人を利する」という効果を持っている。増税の場合は現時点で、国債発行の場合は異時点で、納税者を犠牲にして失業者を利する効果を持っている。しかし、これは社会保障制度の問題であって、財政政策に固有の問題であるわけではない。財政政策固有の問題というのは、誰に購買力を移転するか、ということではなく、そのプロセスを利用して「何かの価値を生産できるかどうか」にあるのである。
不況期に不可避的に生まれる失業や貧困は、憲法の保証のもとで「購買力の移転」で救済されるべき必然性が存在する。これは、経済メカニズム以前の問題である。大切なのは、その必然的社会保障のプロセスの中で、副次的に経済価値を創造する、ということであり、このことこそが高度に経済理論的な帰結なのである。
つまり、公共投資を行うことで経済成長を促進するという目的だけに話を絞るのであれば、その資金的な裏付けは必ずしも増税によるものでなければいけないというものでもありません。
そのための財源は「国債の追加発行」によっても、結果さえ出せればいいわけです。
ただ、それをネットの悪質投稿者たちのように「国債は打出の小槌のように無限に発行できる」という議論と意図的としかいいようがないような混同をするのはいただけませんけどね。
また、ノーベル経済学賞受賞者でコロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授は、少なくとも現状における我が国での消費税増税には否定的な見解で知られていますが
http://mmtdayon.blog.fc2.com/blog-entry-1693.html?sp
「(政府が抱える)債務への懸念は理解できるが、私が懸念しているのは(増税の)タイミングだ。世界経済は弱く、消費増税するには正しい時機ではない。消費税よりも良い増税がある。例えば、投資や賃金に収益を回さない企業には増税し、投資や賃上げをする企業は減税するといった方法だ。税の構造を変えること等が先だ」
として、我が国の「税制の構造そのものを見直すべき」と主張しています。
さて、私は他の記事でも述べてきましたけど、これまで消費税を増税することによって我が国の経済成長にどのようなプラスがあったのか?
ここを考えるべきではないかと思っています。
確かに税収全体における消費税収の割合は大きくなりましたが、我が国経済はむしろ縮小し、今や「新興衰退国」とまで呼ばれるようになりました。
現状の税制そのものが我が国の経済成長を阻害する大きな要因の一つになっているとしたら、そこを改革しなければ状況の改善は望めないと考えるのは、別に不自然なことではないと思うのですけど、いかがでしょうか?
ネットでトンデモ消費税増税論を主張する悪質投稿者の皆さんには、では現状の消費税を今のような形で増税し続けることで、本当に状況の改善が望めるのか、是非聞いてみたいものですけど、おそらく無理でしょう。
無論、トンデモではない消費税の増税論は確かにありますが、それは、あくまでも我が国の経済成長を前提とする議論であると理解しています。
ネットでは、そのようなことを簡単に放言する人をしばしば見かけますけど、では、その消費税の増税分を何に使うのか?
まず、ここをハッキリさせるのが先ではないでしょうか?
実際、社会保障が今のレベルのままで、単に財源がないのに高齢化等の様々な要因で支出が膨大になったために消費税増税が必要になるということであれば、未来の私たち日本人の生活は、かなり悲惨な状態になることが予想されます。
もし、我が国の未来について、そのような選択肢しかないのであれば
そうなる前に財産をまとめて外貨に変え、海外に移住するのが賢明な判断だと思います。
何も「日本は増税しないと未来はない」などと主張した上で、反対意見の相手を「嘘つき呼ばわり」し、根拠のないデマや、特定の相手(当然そこには三橋貴明氏なども含まれます)に対する誹謗中傷などをネットで撒き散らす必要はありません。
例えばこちらでも見られるような、当の三橋貴明氏が主張していないような「トンデモ理論」を、さも三橋貴明氏が主張していることを前提にして、その上で氏の主張をバカにするなどというのは、その好例といえるでしょう。
当人たちは楽しいのかもしれませんけど、ハッキリ言って有害無益であり、私自身を含む他の人にとっては迷惑そのものです。
そのような人たちは、そもそも自国の将来性など信じていないのでしょうから、とっとと海外に移住することをおすすめしたいですね。
移住した先で幸せな老後が送れるかどうかは知りませんけど。
それは、まあともかく
そうではなく、例えば
増税した上で公共投資を行い、その上で経済成長のための資金的な裏付けとする
これであるなら議論する価値はあるでしょう。
少なくとも「経済成長」を前提とした議論ですので。
もっとも、帝京大学経済学部経営学科准教授であり、経済学博士の小島寛之氏の見解はこのようになっています。
公共事業の財源はどこからでも同じこと
https://president.jp/articles/-/1050?display=b
公共事業などの財政政策を論じるとき、財源のことが問題にされる。増税によるのか、国債の発行によるのか。前節の視点に集約するなら、財源は大きな問題とはならない。
根本的に考えれば、財源がどうであれ、「購買力の移転」が行われるだけではマクロ集計的には何も意味がないからである。「最終的に誰に購買力が渡るか」が重要なのではなく、その過程で「何かが生産されるかされないか」が問題なのだ。
このことを、国債を例にとって考えてみよう。
政府が国債を発行し、それで得た資金で公共事業を行うとする。このときに生じるのは、まず、国債購入者Aさんから発行者の政府への購買力の移転である。次に、公共事業によって、この購買力は失業者のBさんへ移転される。こう見れば、別に増税を財源とするのとなんら変わらない。ただ、国債発行の場合は、もう一度購買力の移転が生じる、というのが異なる点である。国債償還の年に、国民のCさんから税金という形で元本+利子分の購買力が政府に強制的に移転され、次に、政府から国債購入者Aさんへの同額の購買力の移転がなされる。
このように、単に「お金の動き」だけをクールに見るなら、増税を財源とするのと、国債発行を財源とするのは、「購買力の移転」が現在の一回だけで終わるか、現在と将来の二回にわたるかの違いだけだとわかる。いずれにしても、この購買力の移転自体は重要ではなく、それが何かの追加的価値を生み出すかどうかが大事なのである。
もちろん、以上の帰結は、再三指摘しているように「マクロ的に集計したら」という前提であることを忘れてはならない。国民それぞれを個別に見分けるなら、いろいろ議論すべき余地はある。購買力の移転は、マクロ的に集計してしまえば何の経済的な意味もないが、実際には「ある個人を犠牲にして別のある個人を利する」という効果を持っている。増税の場合は現時点で、国債発行の場合は異時点で、納税者を犠牲にして失業者を利する効果を持っている。しかし、これは社会保障制度の問題であって、財政政策に固有の問題であるわけではない。財政政策固有の問題というのは、誰に購買力を移転するか、ということではなく、そのプロセスを利用して「何かの価値を生産できるかどうか」にあるのである。
不況期に不可避的に生まれる失業や貧困は、憲法の保証のもとで「購買力の移転」で救済されるべき必然性が存在する。これは、経済メカニズム以前の問題である。大切なのは、その必然的社会保障のプロセスの中で、副次的に経済価値を創造する、ということであり、このことこそが高度に経済理論的な帰結なのである。
つまり、公共投資を行うことで経済成長を促進するという目的だけに話を絞るのであれば、その資金的な裏付けは必ずしも増税によるものでなければいけないというものでもありません。
そのための財源は「国債の追加発行」によっても、結果さえ出せればいいわけです。
ただ、それをネットの悪質投稿者たちのように「国債は打出の小槌のように無限に発行できる」という議論と意図的としかいいようがないような混同をするのはいただけませんけどね。
また、ノーベル経済学賞受賞者でコロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授は、少なくとも現状における我が国での消費税増税には否定的な見解で知られていますが
http://mmtdayon.blog.fc2.com/blog-entry-1693.html?sp
「(政府が抱える)債務への懸念は理解できるが、私が懸念しているのは(増税の)タイミングだ。世界経済は弱く、消費増税するには正しい時機ではない。消費税よりも良い増税がある。例えば、投資や賃金に収益を回さない企業には増税し、投資や賃上げをする企業は減税するといった方法だ。税の構造を変えること等が先だ」
として、我が国の「税制の構造そのものを見直すべき」と主張しています。
さて、私は他の記事でも述べてきましたけど、これまで消費税を増税することによって我が国の経済成長にどのようなプラスがあったのか?
ここを考えるべきではないかと思っています。
確かに税収全体における消費税収の割合は大きくなりましたが、我が国経済はむしろ縮小し、今や「新興衰退国」とまで呼ばれるようになりました。
現状の税制そのものが我が国の経済成長を阻害する大きな要因の一つになっているとしたら、そこを改革しなければ状況の改善は望めないと考えるのは、別に不自然なことではないと思うのですけど、いかがでしょうか?
ネットでトンデモ消費税増税論を主張する悪質投稿者の皆さんには、では現状の消費税を今のような形で増税し続けることで、本当に状況の改善が望めるのか、是非聞いてみたいものですけど、おそらく無理でしょう。
無論、トンデモではない消費税の増税論は確かにありますが、それは、あくまでも我が国の経済成長を前提とする議論であると理解しています。