胃ろう(胃瘻)wikiより引用
---主に経口摂取困難な患者に対し、人為的に皮膚と胃に瘻孔作成、チューブ留置し、水分・栄養を流入させるための処置。

各家族内で様々な議論や葛藤があるようです。


 自力で食べれなくなった。


患者に食事を摂らせる作業に時間がかかるので、胃にチューブを差して栄養を送り込む措置を医者から提案されたとする。

生かすか否か、その選択は厳しく辛いものだと安易に想像がつく。

もしも食べれるのだったら自分たち(家族)が食べさせればいいじゃないかと話し合い、最期までそうできればいいが、現代社会に生きる我々にそれが出来きるだろうか。

自らの食べ物でさえ、ファストフードや惣菜などで済ませられる。

ベビーフードまで瓶詰め缶詰レトルト食などが売られている時代。


もしも、介護を要する家族に対し、専門家から胃ろうを勧められたらどうするだろう。


私の父は現在病院のベッドの中にいる。

自分の意思も言葉に出来ない父だけれど、幸いなことに自分の口で咀嚼できる。
口にものを運んでもらわなければかなわないがそれでも口に入れてさえもらえればモグモグと口を動かしゴクリと飲み込めるのだ。

水分はゴクゴク飲めないまでも、とろみをつけて摂れる。


父が倒れたとき、祖母や伯母たちは早速葬儀の準備をしていた。

私は病院に駆けつけ、泣き崩れる兄弟の脇で父の顔を見つめ、話しかけた。

兎に角、父に向かってひたすら話しかけた。

私は閉じたまぶたの奥の、父の眼球が動いているのを見逃さなかった。

父の乾いた唇を濡れたタオルで湿らせた。

看護師に止められた。

なぜ、父の唇を湿らせることを看護師が止めたのかはわからなかったし今でもなぞのままだ。

次いで私は父の目に付いた粘膜の塊をほぐし取った。

いつ入ってきたのか、

「そんなことをしても無駄よっ!死ぬんだから」と、伯母が冷ややかに言い、ドアを開けて出て行ったその後、父は静かに目を開けた。


枕元に立ち、左右に大きくゆっくりと動く私を、父は開けたばかりの目で追った。

そういうことなんだ、と私は思っている。

あのまま、粘膜の塊が上下の睫をふさいだまま、誰も父のまぶたの奥の目の動きを捉えなければ父はそのまま、口につけられたチューブを外され、酸素を送る装置も外されて、違う運命を辿らざるを得なかったかもれない。

または、延命させて貰えたとしても胃に穴を開け、チューブで栄養を送り込む胃ろう処置になっていたかもしれない。

父は今も生きている。

それも随分と回復し、不摂生をしている現代の社会人より健康で、万全な管理体制の中で生かさせてもらっている。

その事が、私はありがたい。

生きてるだけで有難いのだ。

父は喋る事はないけれど目力は強く、眉で感情を表現することもある。

稀に鼻歌を歌ったり、笑ったりもするという。


少し前、立てなかった人が入れ歯を入れただけで歩けるようになったという報告もなされていた。

ひとつの希望が持てるのなら、確率は低くても希望の光の灯っている方をとりたいと私は思う。

父の手術の成功する確率は低かったけれど、段階を経て今に至って生きていてくれていることに感謝だ。