2週間が経ちます。

 現実を受け止めているつもりが、受け止めきれない危うさもあり、悲しみを感じる日常で、私は悩みます。

 例えば、納骨に関して。人間界と動物界の違いはあるのかなど今まで考えたことのない事でした。


犬は、死について生前何も考えないのだろうか。


 私たちが死を迎えると、その体からは魂抜け「生」が止まれば体は腐敗の一途を辿ります。一定の期間はそのままで横たわっているとしても腐る前には焼かれます。

 着火され、焼かれているときは怖くはないのだろうか。骨壷に骨を入れられたときには何も思わないのだろうか、お墓に入れられることは生前からわかってはいてもいざ、納骨され、お墓の下に入れられたら、怖くはないのだろうか、家に戻りたくはないのだろうか、あの世というものを見たことがないのでわからないけれど無になるのか、それとも精神や思考はある(残る)のだろうか。

死んだら無だよ。

得意げに、または悲しげに、そんなことを言っている人もいたけれどなぜわかるのだろう。

様々な説を耳にしたことはあるけれど、私にはわからない。


自宅に帰り、いつもの感じで過ごしてもやっぱり違う。

居たものが居ないのですから違うのです。

朝起きたって、よる寝るときだって

探しても、いない。

長年連れ添いそこに存在していたものが、呼んでもこない。

振り返っても、どれだけ名前を呼んでも、私がどれだけ声を出しても、もう飛んでくることはないのです。


昔、愛犬を亡くした友人が「家にいるんだよ、足音が聞こえるの」と嬉しそうに言っていました。

できることなら私にも足音くらい聞かせてよ。どこにいるの?


そんな時、「私のお墓の前で泣かないでください」というフレーズを思い出したのです。

正直なところ、何の曲だったっけ?という具合でした。

検索をして、歌詞を読み、曲を聴きましたがピンときませんでした。


メアリーさんの原作の詩や、南風椎さん原訳の詩、またそれを模造した新井満さんの歌詞自体を兎や角言っているのではなく、会えなくなった現実を何かに縋ってでもなぜ会えないのか、自分自身が納得したいのかもしれません。


風になっているのなら私にわかるように吹いて欲しい。

それが光でも夜空に瞬く星でもいい、私はあなたに会い、あなたを感じたい。

もう一度この腕で抱きしめたい。鼻をさすりたいし肉球をにぎにぎしたい。

毛に指を絡ませて背中を撫でたい。ダメだと言った全てのことをさせてあげたい。

どこにいるのか知りたい。



多くの人が悲しい体験をしていると思うのです。

それを受け止め、また日常を過ごしていく。

そのことを思うとただただ、感服します。

2012-02-14 06:23:37記