帝政ロシアの将校には珍しく貴族出身ではなかったロジェストベンスキー。
1864年、16歳の時、海軍幼年学校に入校。
その後ペテルブルクのミハイロフ砲術アカデミーを優秀な成績で卒業した。
1873年、25歳の時、中尉に任官。
※中尉とは、軍の階級で中間管理職の種類。
ロジェストベンスキー氏は、「無能」だとか、「役立たずな人間」に描かれることも多いが実は非常に優秀な軍人で、また人としても優れた心の持ち主であった。
※このように、誰某の書物やドラマ仕立てのテレビなどの情報のみで、「この人は無能」となってしまうのが残念である。
ロシアにおける貴族階級制度に当初から反対の意を示しており、支隊司令官在任時、現行の貴族中心の採用基準では有能な人物を抜擢できないとして、暗に貴族制度を批判していた。
1898年、バルチック艦隊の教育砲術支隊司令官となり、少将に昇進。
日本海海戦で東郷平八郎大将率いる日本の連合艦隊と交戦した優秀な男である。
バルチック艦隊の司令長官としては無能だったと批判されることが多いが、
電気工学に興味を持っており、砲術の研究者としては優秀であった。
不運が続き、結局は日本海海戦で東郷平八郎大将率いる日本の連合艦隊と交戦し深く負傷。
移動中に日本のの駆逐艦に発見されやむなく捕虜となり佐世保の日本海軍行院に入院。
日本海沖で戦った東郷平八郎はロジェントベンスキーを見舞った。
東郷の礼節を尽くした扱いに感銘を受け、一生東郷を尊敬し続けた。
終戦後の1906年、敗戦の責任を問われ軍法会議にかけられた際、、
「敗戦の責任は自分にある。この裁判は自分とニコライ・イワノヴィチ・ネボガトフ少将だけを罰すればいいと」
と発言したが無罪となった。
その3年後、負傷した傷が原因で病死。 享年60歳。
