純の家から大学までは徒歩10分ほど。登校する途中、純は大きな公園を斜めに突っ切ることにしていた。それはもちろん大学まで行く近道になるからであるが、それだけでなく公園の木々が季節ごとにその姿を少しずつ変える様や、ランニングする老人を見るのが好きだったからである。

 公園を抜けるところで、

「純、おはよう。勉強したか?」と声をかけられた。

 振り返るとそこには、洒落た花柄のズボンと清潔感のある青いシャツを身に付けた亮(りょう)がいた。

「あぁ、おはよう。勉強はいつも通りだよ。」

 やっぱり洒落た服装には身長が必要だよな。と純は思う。

 亮は身長181cmあり、バスケで鍛えた体は、引き締まってはいるがしなやかだ。

 地味な俺は、できる範囲でやればいい。

 人にはそれぞれの場所があるんだ。暑くもなく寒くもない温度があるように。

 そして、心地よい場所から離れることは大抵の場合すばらしい結果を生まない。

 安全な小屋から抜け出して、凍てつくような雪の降る中歩いて、そうしてマンモスを捕えることができるやつなんてそうそういないだろう。

 危険を冒さず、ほどほどに生きる、というのが今後の課題だな。

 純は心の奥がギュッと締まる思いがしたが、気にしないようにした。

 プロローグ




 明るいスポットライトの光を浴びて、ステージ上の少年は輝いている。

黒いタキシードを身にまとい、ライトの光と緊張でうるんだ瞳は熱を帯びていて、彼の自信を窺わせた。

 激流に逆らう魚のように、彼はまばゆい光の方をあえて目を凝らして見つめてみる。

 まだ10歳の彼の肉体は、これからの成長に必要なエネルギーを十分すぎるほど蓄えて内側から漏れ出すほどであり、光を浴びずとも輝きを放っていることが予想された。

 彼はゆっくりと観客におじぎをして、拍手の後の静けさを感じながらゆったりとした動きでピアノの前に座り、目を閉じた。













 鳴り響くアラームの音で純(じゅん)は目を覚ました。時刻は7時。彼は眠い目をこすりながら、水を飲むためにそそくさと台所へと向かった。フィルターを通して、まろやかにしておいた水をグラスに注いで飲みながら、何気なく食器棚の上を見ると、古びた写真立てが目に入る。

年老いた樹木を思わせる荘厳な色調のフレームの中には、ステージの上で賞状とトロフィーを抱え、こちらを誇らしげに見る少年の姿が写されている。

 そして、純はさきほどまで見ていた夢が、幼いころの自分自身であることに気づいて苦笑する。それから、子どもの頃は朝を追いかけるように目覚めていたのに、自分はいつの間に朝に追われて起きるようになったのかと不思議に思う。そしてそれがまるで鬼ごっこのように思えて再び苦笑する。

 「いやいや、そんなことを考えてる場合じゃないな。」そう独り言を言いながら、銀色に煌めく時計を右手に付けて、ところどころペンキの剥げている青い鉄製の重たいドアを押し開けて、大学へ行くために外へと出た。