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小学校では部活がなかったので何を持って倶楽部と言えばいいのか
わかりませんが、あえて上げるとしたら、その時、一番近くの高校でやっていた
地元の小学生対象の「柔道倶楽部」でした。笑楽の人生において唯一
運動倶楽部と言うものに所属したのがそれでした。
笑楽は運動音痴で要領が悪く、受身は出来たとしても、
中々相手を投げると言う事が出来ませんでした。
唯一投げることが出来た際に運悪く、身体のバランスを崩して
相手の胸元近くに拳が入りかけました。(実際に入っていたのかもしれません)
もちろん自分自身に余裕がないので故意にしたわけではないのですが、
そのことで相手に咎められた時に人を傷つけてしまうと言うトラウマに陥り、
恐くなって辞めてしまいました。
それ以来、一切、格闘技はもちろん競技的運動倶楽部に所属することがありません。
唯一運動倶楽部に入るとすれば、社会人になってからです。
…が、フィットネス倶楽部かジョギング倶楽部の他、ハイキングや山登り程度のものです。
笑楽は運動的倶楽部には脱落しましたが、その分、芸術的倶楽部に入りました。
具体的には、授業の中での児童倶楽部として、「絵画部」と、「人形劇部」に入りました。
あとは、倶楽部と言えるかどうか?
ボーイスカウトのような学校外の林間キャンプに単発で参加したくらいです。
笑楽は物心ついた時に父親が事故で長期に亘って(約20年間)入院していましたので、
自然と一人遊びが生活の中心となっていました。
※内大半は、テレビのアニメ(主に赤塚不二夫先生の漫画)や、
上方の笑い(各種漫才Gや吉本・松竹新喜劇)、
東は、ドリフのコントを観るのが中心でした。
つまり、笑楽の芝居観はその頃から形成されるようになったわけです。