―人の世にあって、人の呼吸(いき)をしているが人に非(あら)ず!―
今回は《カムイ外伝》を旅しますが、ストーリーには追っていきません。
カムイの時代は…、
一個人が多数を支配するために編み出した統治法として、
人間が人間を縛ることで本来人間が持つ自由を奪い、
ある特定の一部人だけが有利に生きて行ける社会組織
と言う怪物を作り出したる時代であった。
本来、徳川が幕府を開いた真の目的からすれば、
長らく続いた戦国の世から度重なる戦乱を終息させるために、
時代が誰かに責任を持たせ、統括しろと勅命したからである。
それが徳川であっただけのことである。
歴史のならわしにおいて、人の世はどの時代にあっても、
人が人そのものを支配する仕組みが横行している。
一時期は平和罹に世の中の仕組みが収まり桃源郷の暮らしを
していたはずの社会においてもひとたびその秩序が崩れ始めると
再び戦乱の世になる。
カムイのような非人を作り出した背景は
そこにあると言える。
※非人とは…、時代が作り出した“負の”選ばれし人々のことである。
それは下僕や奴隷よりも下手に扱われ、
迫害されるべく生れた人々のことである。
その定義には時代の変遷において変わっていくが
最初は、河原者と呼ばれる芸事に身をおいた人々のことであったが、
次第にそれが、人としての顔をはがされ、迫害をされるがべく追いやられてしまった。
その変遷には、生きていくために必要な苦渋の選択であった小さな悪事であったのが、
事を発して次第に世の中を納めていくために作られた犯罪者の烙印を押され
為政者が都合のよいように追いやられていった人々である。
最初は、罪が許されれば非人であった人々も歳を重ねるごとに
帰るべく場所を失い、。徐々に徐々に抜き差しならぬ世界へと貼り付けられていった。
と同時に人々の心にもそれが(=必要悪としての烙印を押された人間の必要視が)
当たり前のように植えつけられて行った。
しかし、どうのような烙印を押されたとしても、どうあがいてもやはり人間である。
精神を壊されない限り人間としての自由を求める。なにもその自由は特別のものではなく
自分自身の存在価値、つまり何のために生き、何を求めて暮らしていくかである。
人に左右されない人生、自分自身で生きていける人生、
何でも揃う現代からしては理解しがたい当時の暮らしや世相は、
人を人として見られない事が多くあった。映画に出てくる領主は人を“愚民”と呼び
人の命を守るべき命とは見ることもないがゆえに、
市井の人々からはギャップが生じ、ほんの些細な事由でも平気で殺戮を繰り返している。
カムイは人間としての自由を掴むために、過酷な世界である忍びの中に身を投じたが、
当時の忍びの世界は、人の命を命として捕らえていない領主の命により、
(世の中が悲惨であるがゆえに起きた)一揆の関係者を
女子ども問わず殺戮しなければならない異様な集団で、
もともと自分自身が人としての自由を掴むためと言う思いに相反するため、
忍びの世界から抜け出すことにした。
しかし、抜け忍としての人生は、死ぬまで追い続けられ、刺客となった
追忍から逃れるために結局、たとえかつての仲間であったにせよ殺戮せざるを得ない、
悲しい人生を続けなければならないのである。
いまの時代は、社会が人の手によって人を殺戮する政(まつりごと)はしていない。
しかし、時には行き詰まりの出来事により、どうにもならなくなった人が、
結局自分の命を自分の手にかけ落としてしまうこともある。
世相が悪いと周りの人が論じたとしても、歴史を慮(おもんばか)りに、
繰り返しの世の中である事は確かである。
結局どの時代も形を変えてみると同じなのである。
現代人がカムイのように追われる人生を送る事はまずないと言える。
わたしの友人がよく言う言葉で、
「“何かに困った!人間関係に困った!”と言う人はいっぱいいるけど、
命までは取られることないから、そんなに気にせずに前向きに生きていったら
えええやないか!」
と言います。
確かに…人によって状況は違いますが、よほどの警察沙汰にならない限り
【命の保障がない!】と言う事はありません。
むしろそこで恐いのは自分自身です。
自暴自棄と言う言葉が当てはまらないかもしれませんが、
自分で自分の命を絶たない限り大丈夫です。
人間死ぬ気で頑張っても(病魔に冒されていない人や死神に取り付かれていない人以外は)
死ねません。
(だからと言って“ぼくは死にましぇん”と叫び、トラックの前に飛び出すと大抵死んでしまいますが…)
要は…死なずにいようと思えばとことん生き抜くことです。
しなければならない現実もありますが、しなくてもいい無茶はやめて、
カムイが持っていたテーマ
『生き抜くために人を殺(あや)めることはあっても
自分から人を殺めない。自分を信じながら生き抜く!』ですね!
笑楽流に言うと…、
『厳しい現実社会を生き抜くために、多少の無茶をして人に迷惑をかける事は差し控えて、
自分で自分をコントロールしながら、無謀な無茶をしない!それは人様にもそうであるが、
自分自身にも無茶をせず、健康にも気をつけ生き抜く!』ですね?
現実にはかなり疲れるテーマですが、
物事を見極める力を備えていれば、おのずとそのテーマに近づいて
行き抜くことが出来るでしょう!
「シルバーウイーク」も明日の昼で前半の折り返しを迎えます。
残りの休日も心置きなく有意義に過ごして生きましょう。