わたくし、『福々亭笑楽』は!
主に落語をするときの亭号として、“福々亭笑楽”を名乗っています。
ブログのト書きにも書いていますが、
わたくしの戸籍上の本名から取っ手つけた名前の噺家と言う事です。
しかしわたくしには数多くのペンネームやハンドルネームの他、
飲み屋系でのボトルネームとかがあります。
本日はその一つ一つを紹介して参りましょう。
まずは“福々亭笑楽”ですが…、
私の戸籍上の苗字は福から始まる最も多い苗字です。
そこに、上方落語で使用されている”笑福亭”を拝借して、
“福々しく笑い楽しむ”と“笑うかどには福( )来る”をもじって
“福々亭笑楽”の名前が完成しました。
次に明記するのが“斉藤誠志”です。
わたくし、学生時代に吹奏楽&管弦楽をやってました。
(ちなみに現在は、男声合唱団に落ち着いていますが…)
日本のクラシック音楽の草分けと言える人物に、
齋藤秀雄(さいとうひでお=1902.05.23~1974.09.18;東京府出身)先生と
小澤征爾(おざわせいじ=1935.09.01~;満州出身)先生がおられます。
この二人の姓名をいただいて、
最初は、“齋藤誠司”としましたが
現在では、“斉藤誠志”に落ち着きました。
※ちなみに、世界の小澤と言われる人の名前の由来は…
かって小澤の父と親交があった、二人の歴史的人物での名前から付けられたそうです。
一人は、陸軍大臣を務めた板垣征四郎(1885.01.21~1948.12.23※板垣退助とは無関係)で、
もう一人は、陸軍中将を務めた石原莞爾(1889.01.18〈戸籍の上では17日〉~1949年.08.15)です。
この二人は共に満州事変を起した人物です。
この、“斉藤誠志”は主に音楽的なことを著作する時や歴史的なことを著作する再に用います。
次に紹介するのが“夢伝使”です。
これは昔、平成初期の頃わたくしが所属していました
同人誌に掲載していました頃のペンネームです。
“夢伝使”とは…、平たく言えば“夢を伝える使者”の省略形です。
この“夢伝使”の名前の時はおもに、児童文学的散文詩や小説を著作する時
およびキャンプやイベントの際に使います。
次に、飲み屋の際でののボトルキープ用のネームですが
“福茶”を用います。以前の職場関係の人からは、
今でも“ふくちゃん”と呼ばれています。
そこで、アルコールはお茶ではありませんが、
お茶をするような感覚で飲みに行っていたとき
カウンターにあるボトルの中には“ふくちゃん”はあっても、
“福茶”はないので“おーいお茶”にもなぞらえて
“福茶”にしています。
最後に…、(って、まだあるのかよ!) と思わないで下さい。
これで最後です。
以前、わたしが半ば本気で飲食店を開きたいと思っていた時の
屋号を『福家(ふくや)』と決めていました。
※あの「仕事が速い福屋工務店」からではありませんよ!
居酒屋風お好み鉄板焼き屋『福家(ふくや)』です。
なぜ一般的や屋をつけなかったかと言えば(って、実際には
開業していませんが!)
店と言うより家に帰ってきたようなコンセプトにしたかったからです。
したがって、お客さんが見せに入ってきたときには
『いらっしゃいませ!』ではなく
『お帰りなさい』で、店から出てくるときには
『気をつけて行ってらっしゃい、無事帰ってきてね』と
決めました。(クドイようで何回も言いますが、構想のみの話です。)
…と言う訳で、
①福々亭笑楽
②斉藤誠志
③夢伝使
④福茶
⑤福家(ふくや)
が、わたくしの別名ラインナップになっております。
◇お時間となりました。ではまた明日