みんなに自慢できるローリングストーンズ誕生秘話・・Michel Hedges | 洋楽と脳の不思議ワールド

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マイナーな60年代ビートミュージック。駄洒落小話。写真と読書感想がメインのブログです。

 

 

日英米の国立公文書館を渉猟した結果、ストーンズ誕生には2説あることが分かったので、今日は一挙に公開したい。

 

 

 

 

 

 

駿河の国、清水の次郎長一家はたいへんな人気だった。

 

なかでも、江戸っ子と見ると「寿司食いねえ~、寿司食いねえ~」と気前よくおごってくれる森の石松は若い女性に大人気だった。

 

とりたてて2枚目じゃないが、気風(きっぷ)のよさが女性に受けたのだ。


 

写真が現存してたので石松の画像をアップしておきます。

 

こんな顔をしてたそうです。











































 

 






 

清水港の隣に倫敦という町があり、ここにも任侠道を看板に掲げた一家があった。

 

ちょうど鎖国が廃止された頃だったので、これからの任侠は海外に出て行かなくちゃならねえとエゲレス語の看板を掲げた。

 

「転ばぬ先の石」ということわわざから Rolling Stones と名乗ったのだ。

 

たった5人の小さな一家だったが、先見の明があったので1人1人の名前までえげれす風に呼んだ。

 

親分を「無頼漢ジョーンズ」、代貸しを「肉ジャガー」、組員を「接吻リチャーズ」「高層建築ワイマン」「砂利ワッツ」と名乗ったのだ。



 

組は小さかったが気概は天を突いていたので、清水一家に対抗心を燃やしていた。


 

特に石松が「寿司食いねえ~」といって評判をとったのに刺激されていた。



 

ある日のことだ。

 

肉ジャガーと接吻リチャーズの2人が食堂にいると、江戸からやってきたという娘さんに会った。

 

丸餡フェイスフルという女の子だ。

 

2人はここぞとばかりに「江戸っ子だってね、豚(とん)食いねえ~、麺(めん)食いねえ~」と薦めるのだった。

 

女の子は「本気~?」と尋ねたのだった。


 

この話が英国に伝わったとき、The Rolling Stones というバンドの Mic Jagger と Keith Richards は不思議な気持ちになった。

 

遠く離れた日本という国で、しかも100年も前に同じような名前の人たちがいたとは・・

 

これは何かの因縁だ。

 

曲を書こうぜ~

 

こうして出来たのが「本気豚食う麺」という曲なのだ。

 

ボクだけが知っている真実だ。ウソではない。


 

http://youtu.be/3-hMQWqVVzw




 

写真の邦盤シングルは73年。

 

来日記念とあるのは、この年、ストーンズが来日すると発表されたからだ。

 

日本中が大騒ぎになったので、主催者は前売りチケットを手に入れるための予約券を配った。

 

予約券がないと前売りチケットも買えないと言うことだったので、多くの若者が寝袋を担いで何日も行列した。


 

結局、90年まで来日できなかったが。

 

映像は日本公演ではなさそうだが、この時の世界ツアーはどこも一緒なので、ステージで繰り広げられるパフォーマンスは一緒。

 

プラチナチケットだったが、ボクは幸いアリーナ席で観れた。

(2013年学会発表)。

 

 

 

 

もう一つの説があるので紹介しよう。

 

 

 

 

 

ストーンズ来日、なんて言われてるけど、正しくは凱旋帰国なんですよ~

 

何を隠そう、全員もとは日本人だったんです。

 

そんなはずはない。西洋人の顔をしてるじゃないか~と反論されるかもしれないが、長いこと向こうで暮らしてると見た目も現地の人に同化してくるんです。

 

これを「朱に交われば赤くなる」法則と言ってます。


 

昔の話だけど、薩摩に5人の若者がいました。

 

ジョン万次郎という土佐の漁師が太平洋で漂流し、黒船に助けられてめりけん国で教育を受け、日本に帰ってきました。

 

ジョン万次郎と薩摩藩ではこの頃行き来があったんです。

 

ある日ジョン万次郎がめりけん国の音楽の話をしたんです。

 

目を輝かせて聞いていたのがこの5人の若者。

 

ぶる~すちゅうものを自分たちも是非演ってみたいと思ったのでめりけん国に行く決心をしました。

 

そこで黒船に乗り込んだんです。

 

黒船はどれもめりけん国に行くのだと思っていたくらい世界地理に無知だったので、船がえげれす国のろんどんちゅうところに着いたときは、びっくりしました。

 

間違ったけど、同じ紅毛人の国、ぶる~すができるじゃろうと軽く考えたんだけど現実は厳しかった。


 

当時のろんどんっ子も江戸っ子と同じで、薩摩から来たというだけでイモ侍と馬鹿にしたんですね。

 

地方出身者をバカにするのがかっこいいと思い込んでるあほな都会人が多かったんです。


 

おいたちをバカにすっとか~と5人は怒りました。

 

そっちがその気ならイモを売ってやろうじゃないか、ってんで5人は石焼イモを売り始めたんです。


 

「い~し焼い~も~♪」と節を付けながら屋台を引いて歩いたら、ぶる~すだ~っちゅうて、ろんどんっ子の間で大評判になりました。

 

おお~こんなに儲かるんなら石焼イモ会社を作ろうと5人は考えました。

 

しかし会社名というのは難しい。

 

ああでもないこうでもないと思案してるうちに、屋台から焼けた石がぽとりと地面に落っこちて転がっていったんですね。

 

ぱっと「転がる石」という会社名が浮かんだんです。


 

5人は登記所に行きました。

 

そのときリーダー格の無頼漢が言ったんです。

 

「俺たち、初志を忘れてないか。男子たるもの初志貫徹すべし。それが薩摩男児ぞ~」

 

そんなわけで、苦労したんだでぃ~と言ってクロウダディというクラブに売り込むことにしました。

 

このとき5人の若者は自分たちの名前もえげれす風に改めたんです。

 

ご存知だと思うけど、無頼漢→ブライアン、肉→ミック、接吻→キース、砂利→チャーリー、尻→ビリ、語呂が悪いのでビルに改める。

 

こうして5人はえげれす人として生きることになったんです。

 

めでたしめでたし。



 

衛星放送が始まった90年ごろにNHKBSで放送していた Live From Bottom Line 。

 

Michel Hedges の演った Gimme Shelter がこれまで聴いた中では1番好きなカヴァーバージョンです。

世界中のギターヲタクに影響を与えた偉大なギタリストです。

曲ごとにチューニングを変えてるので、タブ譜が出版されてます。

この映像の翌年来日して、西新宿の小さなハコで演ったのでもちろん行きました。

今でこそ日本でも有名人だけど、当時の音楽マスコミはこうしたメジャー路線とは縁のない本物のミュージシャンを採りあげなかったんだと思う。
 

http://youtu.be/H7_ARAF9inI

 

 

(2014年学会発表)。