天気がいい。
天気がいいと心が軽くなる。
昨日は寝付けず、5時から始まる大谷君の試合のために4時にベッドから抜け出して本を読んでいた。
4時半に地震。
TVをつけたら、津波の心配はなく、家屋の倒壊もなく、電車や道路も安全だと言っていたので、5時までまた読書をしていた。
5時にTVをつけたら、大谷君の代わりに同じニュースを流している。
BS1もBS2も地上波も同じニュースだ。
被害があったんなら仕方がないが、被害もないのに同じニュースを3つのチャンネルで繰り返し繰り返し6時までやるという。
ふざけんな。
大谷君の方が大事だろうが。
頭に来たので酒を飲み始めた。
がぶ飲みしていたら、5時半に大谷君の試合中継が始まった。
また例のごとく「なおエ」の試合。
ますます腹が立ったので6時半に不貞寝した。
14時半に起きて来たが、ろくでもない天気。
おまけに二日酔いで体が使い物にならない。
散々な1日だった。
ボクのブログはマニア相手に出発した。
ロックのメインストリームはAOR、産業ロック、ヘビメタに占められていて、ボクのような60年代ビート・ミュージック・ファンはマニアになるしか手がなかった。
日本の音楽マスコミは20世紀中、完全無視を決め込んでいたので、同好の士に日本語の情報を発信するのが目的だった。
2011年に記事にした Slickee Boys もそんなバンドのひとつだが、今回、なんとディスク・ユニオンとタワーレコードほかの記事が見つかった。
この10年の間に、こんなにも日本での洋楽事情が変化していることに驚きを禁じ得ない。
過去記事です。
当時のマニアから「日本人が彼等についてこれほどしっかりとした文章を書いていらっしゃるのを他で見た事がありませんよ。」とお褒めの言葉まで頂いた。
Slickee Boys は日本では全く無名だが、めちゃくちゃかっこいい。
アメリカでは評価がうなぎのぼりのようで、ネットでも多数の情報源にアクセスできる。
(wikipedia の記事は参考にならないのでマニアの記事にアクセスした方がいいです)。
75年から91年まで活動していたインディーバンドで、拠点はワシントンDC。
80年代前半の映像だと思うが、まずはこのライヴをどうぞ。
(消されている。2023年記す)。
The Brain That Refused To Die
日本のインディ・シーンでも見られたようなライヴで、懐かしい~と感じる人も多いはずだ。
(ボクは80年代の実際のインディ・シーンには立ち会ってないので、また聞きでそう思うだけです・・苦笑)
この映像は音が悪いのが難点だけど、雰囲気はばっちり伝わってくる。
いまならガレージ・サーフ・パンクとでも名づけたいサウンドだ。
映像で仮面をかぶっていた Kim Kane というギタリストと、もうひとりのギタリスト Marshall Keith が中心で、76年に最初のEP、 Hot And Cool をリリースしている。
Uでも2曲投稿されていて聴くことができるので興味を抱いた方は是非お聴きください。
ボクがびっくりしたのは、この時代のメインストリームロックに背を向けていることではなく(そんなことは当たり前)、その背の向け方だ。
ピストルズやラモーンズとほぼ同時期に登場しながら、パンクに向かわず、独自の方向を向いている。
ニューロック以前のサーフ・ミュージックやビート・ミュージックをルーツにしていることで、こんなガレージ・サウンドが市民権を得るまでには、それから長い年月を必要としたのだ。
ヤードバーズの Psyco Daisies をカヴァー(それもほぼ原曲どおりに)しているなんて、この76年当時考えられもしないことだ。
初期のバンドのヴォーカルは Martha Hull という女性で、78年から Mark Noone という男性に代わっているが、この2人、声がよく似ている。
(ついでにマニアックな情報を記すと、彼女は Hangmen のドラマー、Bob Berberich と夫婦になった)。
78年までに3枚のEPを出していて、82年にドイツの Line レコードが、その3枚のEP盤と2枚のシングル、未発表の1曲を1枚のLPに収めた Here To Stay というアルバムをリリース。ヨーロッパのアバンギャルドなロックファンの知るところとなった。
ライン・レコードといえば、60年代ブリテッィシュ・ビートのリイシューに力を入れていたフォノグラム傘下のレーベルで、白い盤面が特徴。ボクも随分お世話になったのだが、このジャケは一度も見かけたことがなかった。
残念だ。
日本人なので、ジャケを見ただけで買ったはずだ。
こんなジャケです。
gotta tell me why
ヴォーカルの Mark Noone が書いたオリジナルで名曲だ。
ちっとも飽きないどころか何度でも聴きたくなる。
ワシントンDCで熱狂的なファンを獲得していた彼らが全米に知られるようになったのは83年のことだそうで、When I Go To The Beach の自主制作ヴィデオクリップがMTVで評価され、MTVをはじめ各局で流れるようになったためらしい。
このヴィディオもあったので一応貼り付けておくが、ポップすぎて好きではない。
多分彼らの作品の中でも数少ないポップ・ミュージックだと思う。
以上3曲だけ聴くとガレージ・サーフ・バンドのような気がするが、そうではない。
彼らの音楽はもっと奥が深くて、83年のアルバム Cybernetic Dreams Of Pi はサイケがたっぷりしみこみ(Invisible People が聴けます)、85年の Up,Uh oh...No Breaks ではロカビリーファンのとりこみまではかっているそうだ(既発を録りなおしたアルバム)。
88年にフランスのレコード会社が、Fashionably Late というアルバムを出していて、これが日本でも発売されたらしい(←Discogs に記載がないので、この情報が正しいかどうか不明)。
この88年夏にはフランスツアーを行い、その模様が Live At Last と名づけられて89年にフランスで発売されている。
帰国後、創立メンバーの Kim Kane が離脱。
他にも辞めるメンバーいたので、しばらく活動中止。
新メンバーで再出発したがうまく行かず、すぐ正式に解散している。
メンバーは個々に活動しているが、解散後も評価はうなぎのぼりなので、何度か再結成コンサートを開いている。
どの映像を見てもテンションが落ちておらず、日本にも是非来て欲しいバンドだ。
再結成なのか、活動後期の映像なのか分からないが、再度 Ya Gotta Tell Me Why のライヴ。
ゾクゾクするなあ~最高!!!
余談だが、この時代のワシントンDCの音楽シーンは独特だったのだろうか。
同じ頃、この地には Chuck Brown という黒人ミュージシャンがいて、ファンクをベースに古いジャズやブルースで味付けした Go-Go という独自の音楽スタイルを確立して活動していた。
08年に記事を書いているので興味ある方は過去記事へ。
いやいや80年代半ばには、スリッキーみたいなサウンドのバンドまで登場している。
1枚だけ残した写真のアルバムのプロデュースが、スリッキーのマーク・ヌーンが務めていることからもその親近性が分かるはずだ。