映画「薔薇の葬列」・・・Lio | 洋楽と脳の不思議ワールド

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マイナーな60年代ビートミュージック。駄洒落小話。写真と読書感想がメインのブログです。

 

 

学生時代、映画にのめりこんでいた時期がある。

ATG系でも、フランス映画ならアテネ・フランセや日仏会館で英語字幕版を見る機会が多かったが、日本映画となると、一度見逃すと、なかなかチャンスが巡ってこなかった。

松本俊夫監督の「薔薇の葬列」もそんな1本。

 

ATGの生みの親である川喜多夫妻の旧居跡のことは3週間くらい前に記事にした。

 

 

 

この旧居跡にあるミニシアターでこの作品を上映するというので、昨日、ようやく観れたのだ。

座席数を数えたら66席。このご時世なので定員は27人に抑えられているが、昨日の観客は8人だった。

「去年マリエンバートで」もそんな人数だった。

ミニシアターだけど、市が運営しているので画面が大きく、席もゆったり。

昔、日本橋三越の中にあったミニシアターほど贅沢じゃないが、長年試写会を見慣れた身としては、やはり贅沢なつくりだ。

 

69年の映画なのに、モノクロの画面が鮮明なので、もしや~と思って調べたら、2011年にリマスター版が出来ていたらしい。

映画ファンならとっくの昔に承知なんだろうが、ボクは2006年か07年を最後に映画館から足が遠のいたので、何も知らなかった。

 

で、映画の方だが、学生時代の70年代に観たら感動したかもしれないが、いまとなってはふ~んで終わってしまった。

 

「月刊薔薇族」という有名なホモ雑誌があったのでお分かりのように、「薔薇の葬列」の薔薇は「ゲイ」の意。

70年代まではマイノリティだったこの世界も、現在ではオープンな世界だ。

だからボクとしては、観る時代に遅れたとしか言えない。

物語の中で、突然に撮影現場が現れたり、出演者のインタビューが始まったり、喧嘩のシーンに「吹き出し」が現れるなど、40年以上前なら、こうしたメタフィクションというか異化効果に唸ったと思うのだが、現在ではあまりにも普通になりすぎた。

 

物語はゲイであることへのアイデンティテイ模索とオイディプス神話が絡みつつ進行していく。

パゾリーニ監督の「アポロンの地獄」の映画ポスターが劇の初めと中ほどで2回も現れるので、観客にはすぐに了解できるのだが、主人公をゲイに設定した以上、オイディプスが殺すのは父親ではなく母親になり、父親と近親相姦の関係になる。

 

ボクが、2020年にこの映画を観て面白いと思ったのは、実験的な手法でもテーマでもなく、ピーターの妖しいまでの美しさだ。

このときピーターは18歳かな??

20代の時に観ていたら、彼の妖しい魅力にひきづられて人生を誤ったかもしれず、観れなくて良かったと胸をなでおろしたのだった。

もうひとつは、女装したゲイの3人が男子トイレで用を足すなどのユーモラスなシーンで、淀川長治さんのサヨナラサヨナラ~をはじめ、あちらこちらで大笑いをするしかなかった。

最後に、60年代の混沌として熱をもったアングラシーンには、遅れてきた世代のボクとしては身を乗り出さずにはいられなかった。

 

2分ちょっとの予告編を2本あげるので、4分でこの映画のおおよそが分かると思う。

 

予告編1.

https://youtu.be/1bWiVD4R1zQ

 

予告編2.

https://youtu.be/EteaHqdX6hU

 

 

音楽はフレンチにしましょう。

主演がピーターだからだ。

https://youtu.be/aRmQze7C0sw

 

 

Lio はベルギーとポルトガルの両親からポルトガルで生まれ、ベルギーへ引っ越したのちフランスへ渡っている。

向こうではかなり売れた人のようだ。

Oz という曲は80年のデビューアルバムに収められている。