中村文則「王国」・・・The Gonks | 洋楽と脳の不思議ワールド

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前回取り上げた中村文則「掏摸」の姉妹編「王国」。

今回の主人公は女性だ。

前回、圧倒的な悪の巨人として登場した木崎が今回もその存在感を誇示する。


この本を読む前に彼のデビュー作「銃」を読んだ。

それで分かったのだが、この作家は「熱」を描いてるということだ。

「熱」とは生きる証(あかし)のことだ。


「銃」では、ひょんなことから銃を手に入れた主人公が、無機物に過ぎない銃に異常な執着心を燃やし、生きる全てとなる。

「掏摸」では、掏るときの異常な高揚に生の証を主人公は感じる。


「王国」の女主人公は、木崎の同類の矢田の配下として、セックスを武器に権力を持つ要人たちにハニートラップを仕掛けている。

木崎の目から見れば、矢田は小物に過ぎない。

木崎の仕掛けた罠で、矢田は失脚するしかない。

主人公は、2人から逃げる決心をする。

しかし、木崎にはすべてお見通しだ。

あっさり捕まり、殺されようとするとき、木崎の子供を産みたいという熱が彼女の身内に澎湃(ほうはい)と滾(たぎ)ってくる。

それは、自分のこれまでの人生が、そのことだけにあった思えるような感覚、熱だ。

しかし、木崎はあっさり拒否し、「お前の人生と引き換えに、お前の命を助けよう」と助命する。

人生と引き換えに、というのは、犯してもいない、いくつのかの犯罪を女主人公に被(き)せるということだ。




「・・でも、何かを達成したとしても、あなたは虚しさを感じるだけでしょう」
「お前は何も分かっていない」
木崎が突然笑う。
「その時は、虚しさを楽しめばいいだろう。・・・それがこの世界の答えだ」





虚しさを楽しむほど、人はニヒリストにはなれない。

帯に「絶対悪VS美しき犯罪者」のコピーがあるが、悪の問題として読んでもいいのだけど、ボクは読み替えをお勧めする。

木崎を「国家」と読み替えてもいいんだけど、一番しっくりくるのは「歴史」と読み替えることだ。

歴史には善も悪もない。

単なる事実があるだけで、その事実も後世の人間が勝手に書き換えることができる。

書き換えた歴史を善だの悪だのと言って大騒ぎするのは後世の人間だ。

歴史そのものは無味無臭だ。

「掏摸」で木崎が吐露した「他人の人生のシナリオを書き換えることほど愉快なことはない」という言葉が通底する。


















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UKに Gonks と名乗るバンドがあったのを思い出した。

64年にデッカから Gonk Song c/w That Alrigt Mama を一枚だけリースしていて Gonk Song が不思議な味わいで聴く者を捉えるのだ。

バンド情報は何もない。

ボクがこのレコードを買ったのが86年だけど、いまだに不明。

Gonk というのは卵形の人形で、60年代のUKで流行ったそうだ。


同じ64年、USでロンドレーベルからDJ向けの非売品としてプレスされたそうで、ジャケ写真で人形の姿が分かります。

UKのB面はプレスリーナンバーだけど、USは違う曲。

A面だけ聴きましょう。



















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