いなせな稲瀬川・・・Nino Ferrer | 洋楽と脳の不思議ワールド

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マイナーな60年代ビートミュージック。駄洒落小話。写真と読書感想がメインのブログです。

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歌舞伎を知らない人でも、「知らざあ~言って聞かせやしょう~」の台詞で有名な「白浪5人男」は知っている。

この芝居では、「稲瀬川勢ぞろい」の場がハイライトだ。

大河のイメージがあるが、実際の稲瀬川は鎌倉にあって、全長500m足らずの小さな川だ。

江の島岩本院の稚児さんあがりという弁天小僧菊之助で分かるように、江戸人にとって、江の島は一生に一度は訪ねてみたい近場の霊場(行楽地)だった。

作者の河竹黙阿弥が稲瀬川を訪ねたとは思えないが(当時鎌倉は寒村)、江の島なら訪ねたかもしれない。

歴史に名高い川なので劇中に取り入れたんだと思う。

なんで名高いのか。

大正12年の石碑が建ってるので、お読みください。



















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古い言葉で書かれてるので、よく分からないという人のために大意を記すと、「頼朝の奥さんの北条政子が、伊豆から出てきて鎌倉に入る前、吉日を選ぶために数日この地で滞在した。頼朝の父の義朝の遺骨を受け取ったのもこの地なら、北条攻めの際、新田義貞の方面軍司令官が討ち死にした場所でもある」と書かれている。


ボクのような昭和生まれの人間にはピンとこないが、頼朝さんの時代まで、この辺は鎌倉の結界だったということだ。

ボクの世代は旧鎌倉とその他鎌倉とを区別するが、この地は旧鎌倉なのでピンと来ないのだ。



















Nino Ferrer はイタリア人の父とフランス人の間で34年にジェノバで生まれた。

ハーフだ。


フランスに移り住んで50年代末から音楽活動をはじめ、90年代末に亡くなるまで人気があったらしい。

ボクは最近になってから知った。

リアルタイムで日本にも紹介されていたのかどうか、知らない。



R&Bから出発し、ファンク、SSW、・・・時代の音に変幻自在に対応している。

よく言えば、こだわりがない人、悪く言うなら商売人だ。



ビート・ミュージックがニューロックへと変質した60年代後半、音楽雑誌では「音楽をビジネスとして演るのではなく、やりたいことを演ってそれで飯が食えればいいのだ」みたいな記事が氾濫していて、すっかり信じ込んでいた。

所詮ビジネスだと知ったのはだいぶ後になってからだが、弁護すると、ビッグビジネスになった多くのバンドは、後先考えずに演りたいことを演ってただけで、たまたまビッグビジネスになっただけだ。

だから、記事そのもは正しい。
ただ人間は日々刻々変わるものだ。

成功しなかったマイナーバンドに、つい肩入れするのは、こうした昔の感情に拘っているからだと思っている。














79年のアルバムから Fallen Angels。

60年代後半~70年代初めの音を引きずっていて、様変わりした79年の音だとは信じられない。

















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