簡(かん)
紙が発明される以前、削った竹や木に文字を書いていた。
その竹や板のことを「簡」という。→竹簡、木簡。
その竹や板のことを「簡」という。→竹簡、木簡。
転じて、手紙のこともさすようになった。→書簡。
嘉永6年(1853年)、ペリーが浦賀に現れたときのことだ。
圧倒的な軍事力を背景に、日本に対して開国を迫った。
恫喝外交だ。
このときペリーは開国を促すアメリカ大統領の親書を携えていて、幕府に受け取るよう要求した。
時の老中、安部正弘は国是を盾に受け取りを拒否。
時間稼ぎ作戦に出た。
ところがだ。
拒否を伝えてから1時間もたたないうちに親書が届けられたのだ。
ま、そんなつれないことを言わんと、受け取ってたもれ~と添え書きまで付けられていた。
浦賀から江戸まで、早馬を飛ばしても1日はかかる。
それなのに、こんな短時間で返事が来たので幕府は恐慌をきたしてしまった。
こんな魔法を使うやつらと戦(いくさ)をしてもかなわん。
ここはひとまず受け取っておこう~
そんなわけで親書を受け取ったが、幕閣は知らなかったのだ。
ペリーが当時最速の早飛脚を使ったのを。
「ペリ簡便」で届けたんだもんねえ~。
受け取った以上は仕方がない。
諦めて翌年国交を結ぶことになった。
日米和親条約という。
条約を結んだ印に両国の代表がサインをする。
日本側代表の林復斎(大学頭)がさらさらさらと毛筆でサインし、筆をペリーに渡すと、その筆じゃ滑れんと言って、自分専用の筆でサインした。
その筆が現存していて、写真で見ることができる。
こんな筆です。
そうそう~忘れてました。
ペリーさんの画像も貼っておきましょうね~。
こんな良い男だったんですねえ~~
ジョー・ペリー
59年に作られた Shades の Strollin' After Dark 。
この曲を聴いてようやく分かった。
58年に Link Wray の Rumble が現れ、59年におそらくは影響を受けてこの曲が誕生し、多分、両方を参考にして Cramps の I was a Teeage Werewolf が生まれたんじゃなかろうか~??
Cramps です。
大ネタ元と思われる Link Wray 。