ジョルジュ・ムスタキ・・・放浪の詩人 | 洋楽と脳の不思議ワールド

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70年代まで、シャンソンは結構人気があったのに、いつの間にか影が薄くなったようだ。
ジュルジュ・ムスタキも人気のある1人だったけれど、AMAZONを見たら現在1枚しか売られていない。
さびしい気もするので、1枚だけ持っているレコードを取り上げる。
「ベスト・オブ・ジョルジュ・ムスタキ」と題された邦盤で、74年にポリドールから発売された。

この人はフランス人じゃなく、ギリシャ人。正確に言うと、ギリシャ系のユダヤ人で、バルカン半島でも反ユダヤ感情が盛り上がったので、両親がエジプトに亡命し、1934年にエジプトで生まれ、育っている。
パリに出てきたのが17歳のとき。
エディット・ピアフの知己を得て、楽曲を提供し、コンポーザーとして知られるようになったらしい。
そのうち自分でも歌い始め、69年「異国の人」という歌がヨーロッパ中で大ヒットし、歌手として知られるようになった。
35歳のときだ。
ボクがこの人を知ったのはもっとあとで、73年のことだ。
以前紹介したバルバラの「不倫」(73年発売)を買ったとき、帯に「注目の新人ジョルジュ・ムスタキも競演」とあり、共演した2曲を聴いたのが最初だ。(69年には紹介されなかったのかな??)。
当時「魂の自由を歌うさすらいの異邦人」といったような記事が氾濫していたと思う。

このへんを聴かなくなってからもう30年近くが経つが、今度思い出して聴いたら、ぐっとくるものがあった。
Uの映像は「僕の自由」(Ma Liberte)という曲。
94年の映像とあるから60歳のときだが、30代のときのジャケ写真とあんまり変わってないように見える。
今なら羨ましい、というべきだが、30代の頃はなんと言えばよかったんだろう。


収録曲は3枚目の写真。拡大すれば読めると思う。
2枚目の写真は、レコードの見開き。