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 月は欠けてるほうが美しい

怪談・幽霊・猟奇・呪い・魔界・妖怪・精霊などを書いております。

永らく休みましたが、前話の続きです。
さるべぇ1(LJK)
さるべぇneo1

「この人、地獄へは逝けないよ。」、突然、漆黒の外套姿でオッサンが現れる 。
「なんでさっ!? 」、慶子は自分の思惑を否定されたのを不快に感じた。
「だって、首吊ったのを反省してるじっゃん。」、オッサのンは歳の割には言葉が若い。
「あっ、この人・・・もしかして八神さんとこの悪魔さん ?」、由里は目を輝かす。
「悪魔なんて勝手に人間が呼んでるんだけど、まぁ「ア・クマ」でいいです。」、オッサンは外套を靡かせた。
「すみません、私、矢上由里と申します。あのぅ・・・ア・クマさん。悪い人が地獄に行くんですよね?」、由里には悪魔に色々と聞いてみたい事がたくさんあった。
「いや、天国と地獄は人間の振り分けをしてるだけなんです。反省が出来る人は再生利用するために神に召されるし、反省出来ない人は消滅処分されるために地獄にいくんです。まぁ、ゴミの分別みたいなものですね。」、ア・クマは由里という「子供」に語りかける。
「なんで八神さんに憑り付いたんですか ? 」
「誤解があるみたいだなぁ・・・憑り付いてなんかないすよ。・・・「契約」しただけです。まったく、契約なんかするんじゃなかった。ちょっと、お腹がすいてたもんで「一つだけ願いを叶えてあげるから何か食べさせてね。」って言ったら牛丼屋に連れてかれて、その願いを100倍するのが「願い」だって。こりゃ、負けたよネ。」ア・クマが愚痴り始めた。
「桃太郎が吉備団子ごときで鬼退治させたみたいで、とぉっても残酷ですねぇ。」、由里は思わず笑いをこらえた。
「桃太郎も地獄に居るよ。鬼を殺すなんて大罪だからねぇ・・・」、何故か悪魔は遠い目をした。
「あのねっ ! 。この子って「幽霊」なんかに憑り付かせてるんだよっ ! 」、慶子は由里に対して少し挑発的な発言をする。
「幽霊だって立派な人間でしょ ? だって体が無いだけじっゃん。そういう言い方って絶対に人種差別だよ。人間は相変わらず天動説なんだね ! 人間が宇宙の中心だと思ってる !!」、ア・クマは力説した。
「あの、すみません。僕はどうなるんですか ? 」、冷蔵庫の幽霊は控え目に発言する。
「あぁ、これは由里ちゃんのお仕事だねぇ。無事にお墓に連れて行ってあげなさい。」、悪魔はそう言うと、パッと消えた。
「まったく、由里ったら私の仕事を取っちゃってぇ ! 」、慶子は不満タラタラだった。
「いいじゃないですか。「クマ」と「さる」のいいコンビですよ。」、由里の天然は救い難い。
「お前・・・雀天丸か ? 」、官十朗は見覚えのある男の名を呼んだ。
「そうだ。貴様が御用金三百両を持って逃げてくれたおかげで、わが藩一族郎党、長く喰うに困らんで済んだのは感謝する。だが、それも今や尽きた…悪いが今一度、「藩」のために金になってくれ。」
「一体どういう事だ ? 」
「貴様の首には二百両の値がついている。いや、八州を斬ってくれたおかげで今や千両は下るまい。一族の為に首をよこせ。」
「雀天丸、馬鹿はやめろ! 」、蓮が割って叫ぶ。
「貴様、格下のくせに剣術指南になりやがって ! 」、雀天丸は刀に手をかけた。
生涯身分が変わる事のなかった太平の世では、どんな技能であれ指南役に就ける事は「立身出世」だったのである。
「お前の剣才は認めよう。しかし、剣とは殺戮に人を斬るものではない。人を思いやり、そして名処を護るものなのだ。故に殿は無才の俺でも指南に選んだ。お前にはそれが解らんのだ。」
「あぁ、今でも解らんな。さあ、抜け! 抜かぬのなら女共々切り捨てる!」、雀天丸は長すぎる程の大太刀を抜き放った。
「判った、太刀合おう。 だが、お前が菅沼備前を斬りに行かなんだのは何故だ ?」、官十朗はゆっくりと虎鉄を抜いた。
「あいにく俺は獄門が苦手でな。」

長くの間、二人は焼けた砂浜で向かい合った。
官十朗の剣が虎鉄でなければ、雀天丸の一撃で勝負はついたであろう。
しかし、雀天丸が先に切り込めば虎鉄が鎬(しのぎ)を削り、必ずや雀天丸の大太刀は折られる。また、官十朗が先手を打てば、雀天丸は素早く身をかわし一瞬で首を飛ばされたであろう。
二人はどちらもが動けない。
突然、官十朗が「げほ げほ」とむせ返り、虎鉄を砂に突き立て膝を折った。
咳は止まらず、やがて大きく咳き込んで大量の「血」を吐く。
「馬鹿め、労咳(結核)を患んだか。ならば楽に死なせてやる !! 」、雀天丸が振り被った瞬間、官十朗は片手返しに「虎鉄」を振り上げた。
虎鉄は雀天丸の剣を砕き顔を二つに割る。
「卑怯者・・・」雀天丸はそう呻くと仰け反りを打って絶命した。
「官十朗様 ! 官十朗様っ !! 大丈夫でございますか !? 」、志乃が駆け寄ってきた。
「何んともありません。舌を噛んでずっと血を溜めていただけです。」、官十朗は目の端で雀天丸に手を合わせている蓮を見る。

しばし時が経つ・・・
浜小屋で魚網を縫っていた志乃が顔を上げると、木戸越しに官十朗と蓮が話しをしているのが見えた。
官十朗が小屋に戻ってくると志乃が正座をして待っていた。
「また、釣りに行かれるのですね・・・行ってらっしゃいませ。そして必ずやご無事で帰って来て下さいね、お約束ですよ。」、志乃は深々と三つ指をついた。

官十朗は島から遠ざかっていく佐平の舟で、突然、志乃を振り返った。
何故なら、虎鉄の鍔元に志乃の小柄がないのに気付いたからである。
蓮が志乃の横に来て、「それを使う日が来なきゃいいね。」、と小柄を見つめる。
志乃は応えず、只々、官十朗が消えていく水平線を眼差した。
雲間の仄かな月明かりを官十朗と蓮は無言で走った。
追っ手が四散して来る前に、なんとしてでも志乃のいる船にたどり着かなければならない。
「官十朗、もうすぐ浜だ。足跡がつかぬ様、雪駄を脱ごう。」
裸足になった官十朗と蓮は波打ち際を随分と走った。
「これなら足跡は波に消される。官十朗、本当にご苦労だったな。」、蓮は止まって官十朗と向かい合う。
「いや、まさかこの手で殿のご無念を晴らせるとは思いもよりませんでした。姫におかれましても感慨の想いでありましょう。」
「よせ馬鹿、もう二度と「姫」などとは呼ぶな。わが藩が取り潰されたのは十五年も前だぞ、ここにいるのは「くのいち女郎」の蓮だ。」、蓮は心地の悪い笑いをした。
官十郎は何て応えてよいか判らず、頭を掻きながら俯く。
「船はこのすぐ沖だ、泳ぐぞ官十朗。」、蓮はそう言うと小袖を脱ぎ、頭に縛って真姿で泳ぎだした。

「蓮様、お待ち申しておりました。橘様(官十朗)もご無事で何よりで御座います。」、船頭は泳ぎ疲れた二人を舟に引き上げた。
「お前、佐平ではないのか ? 」、官十朗は翁齢の船頭に声をかけた。
「へい、まだ生きておりますですよ。これから、我らが一族の隠れ小島に案内いたします。」、佐平は藩の御庭番(忍者)だった。
「志乃殿は ? 」
「それが、船酔いが酷く横になられております。」、佐平はムシロを頭まで被って寝ている志乃を指差した。
「佐平、身体を拭きたい。サラシをよこせ。」、蓮のしなやかな身体が千切れた雲間の月明かりに照らされた。
官十朗は思わず背を向ける。
「ふんっ! 見飽きているくせに。」、蓮は意地が悪い。
「官十朗様、今のは何んですか ?・・・」、志乃がふらふらと起きてきた。

舟はまる一晩を漕ぎ続け、猫の額ほどの浜がある小島に着いた。
「蓮様、「虎鉄」をお返し致します。」、官十朗が虎鉄をかざした。
「私には無用、お前にあげる。」
その時。
「虎鉄も官十朗の「首」も俺のものだ ! 」、総髪の侍が漁師小屋のかげから現れた。

官十朗は遊郭の中通りにいた。

店を冷かしている振りをしながら、大門から来るであろう八州の籠提灯の灯りを窺っている。

やがて二対の籠提灯が見えてきた。

籠を四方から警護する場合、籠の左前に立つ侍に一番の手練れを充てる。

これは狼藉する相手が右袈裟に斬り込んでくる事が多いからであった。

官十朗は酔って廓から出てくる藩士を装って大門へと向かった。

大門の右端を千鳥足で遊郭の外に抜ける。

籠が近づき、もう少しで間合いに入ろうとした時、籠がピタリと停まった。

「失礼ながら、お手前。小太刀は如何になされた ? 」、と一番侍が鯉口を切り(刀を直ぐ抜ける状態)、官十朗に声をかけた。

官十朗は虎徹一本しか差していない。

二本差しが習わしとされているこの時代には不自然であった。

「いやぁ、面目ない。ちと、羽目を外しすぎて花代(料金)のカタに取られてしまい申した。」、官十朗は勤めて阿呆の振りをする。

「そうであったか、失礼申した。」

再び籠が動き、官十朗はわざと塀際まで籠をよけた。

一番侍が鯉口を戻した刹那、官十朗は横抜きに抜刀し急襲する。

少人数の戦いでは、まず一番強い者から倒すのが鉄則であった。

一番侍は官十朗の演技に不意を突かれ、素早く抜刀したものの振り被る前に官十朗の鋭い「突き」の前に倒れる。

背後から左後ろの侍が振り被ってきたが、足音が大きすぎて容易く官十朗の後ろ斬りの餌食になった。

籠横の侍らはそこを動かない。

残る二人の侍は機敏に正眼の構えをとるが、二人とも虎徹に刀ごと斬撃された。

女の父親の「虎徹」は恐ろしいほどに斬れた。

官十朗は怯える籠横の侍と対峙し、間合い深く斬りこむ。

虎徹は侍の脳天から睾丸までを叩き斬った。

このとき、切っ先が籠の中の菅沼備膳を直撃している。

官十朗は苦しそうに呻く菅沼備膳を、「では、御免 !! 」と横殴りに籠ごと両断した。

残りの侍と籠かきは逃げ出して居なかった。

「見事だね、橘 官十朗。」、本懐をその目で確かめた女が塀の陰から出てきた。

「やはり、俺の事は知っていたのだな。 ならば、お前の名は !? 」、官十朗は激しく肩で息をしている。

「 「蓮」、だ。 忘れたか ? 」

「ま、まさか・・・。  殿の忘れ形見であられたとは・・・」、官十朗は年少の蓮姫に懐剣の指南をした事を鮮烈に思い出した。

「志乃さんが仲間の舟で待ってる・・・ 走るぞ !! 」、蓮姫はそう言うと、その切れ長の目に涙を溜めながら官十朗の手を固く握って走り出した。



官十朗が志乃の言葉に迷困していると、「連れてけないよぉ。」、と襖越しに女の声がした。

「おまえ、何んで此処に居る !? 」、官十朗は勢いよく襖を開けた。

「実は、あんたらが逃げ出さないか、向かいの部屋から見張ってたんだよ。」、女は腕組みをしている。

「官十朗様、このお方は何方でございますか ? 」、志乃は女の勘が働いた。

「・・・「くのいち」だ。 志乃殿に全てを話さねばなるまいな・・・」、官十朗は真犯人が重松竜間ではなく菅沼備膳である事を告げる。

「重松様には取り返しのつかない遺酷をしてしまったのですね。」、志乃は痛悔しうなだれた。

「もう、行くよ。」、そう言って女は襖を閉める。

「官十朗様、やはり私は残って・・・いつまでもお帰りをお待ち致します。だから必ずご無事で・・・」、志乃はそう言うと母親の小柄を虎徹の鍔元に収め、ちからいっぱい官十朗に抱き付いた。


「どういう、段取りなんだ ? 」、官十朗は少し前を歩く機嫌の悪そうな女に尋ねた。

「昨夜、城下に八州が陣取った。菅沼備膳は無類の女好きだから、必ず宵の内に「太夫」を買いに出る。その短い道中は籠横と四方の警護の六人だ・・・すまないね、これしかないんだよ。」、女は無茶な作戦を申し訳なく告げた。

「わかった。仕損じたら志乃殿を頼むぞ。」、官十朗の言葉に女は小さくしっかりと頷き、「綺麗な子だものね。」、と皮肉を言う。

忍(しのび)は専ら諜報活動を行う為だけに存在する。

したがって、侍相手に戦うなどとは蛙が蛇に挑むくらいに有り得なかった。

官十朗は六人もの手練れを一人で相手にするしかないのだ。

浜にさしかかった時、「これに着替えておくれよ、そんな汚い身なりじゃ怪しまれるだろ ? 」、女は背負い袋から真新しい紋付を取り出した。

藪に入って官十朗が着流しを脱いでいると、女が顔を出し、「生きて帰ってきて欲しいと思っているのは、志乃さんだけじゃないんだからね。」、と官十朗を熱く見つめる。

官十朗が無言で黙々と着替えていると、女は、「いけず !! 」、と罵った。





「虎徹」には値段がなかった。

すなわち、作者の長曽禰虎徹は売る相手を選んでいたのである。

虎徹を持てたのは大名旗本ほどの地位のある者に限られていた。


「そんな訳ないだろ。名家だっただけだよ、でも今は忘れた。あんただって、昔の官位は用済みだろうが。」、女は官十朗の正体を知っている様だった。

「おまえ、仕組んだのだろう ? 」、官十朗は悪意のない笑みをする。

実際、親分に官十朗が名刀を持っていると注進し身請けの金を作らせ、虎徹を刀部屋に忍ばせたのは女だった。

「腕の立つ食い詰め侍を探す為に、あそこで女郎してたんだ。 さあ、そろそろ行こうよ。「志乃」さんが宿場に着く頃だから。」、女は官十朗の顔を見ずに話した。

「なんだって !? 既に身請けをしたのか !? 」、官十朗は胸が高鳴る。

「ただし、二人で逢うのは一晩だけだよ。 翌朝には「刺客」してもらうからね。」、女はそう言うとスタスタ歩き出した。


海辺近くの宿場木戸をくぐると、「志乃さんはそこの大旅籠(高級宿)の上部屋に居るよ。私はそっちの平旅籠(安い宿)に居るから、詰まんなくなったらおいでな。」、女は笑って去って行った。

官十朗が階段を登り上部屋の襖を開けると、そこには「志乃」が居た。

志乃は官十朗を見ると微笑みながら三つ指をつく。

「その節は大変なご尽力を賜り、至極の喜びであります。また、この度も大変な散財をして頂きまして、御礼の申し上げ様もございませぬ。」、志乃はくどくどとお礼の言葉を口にした。

官十朗は何を喋っていいのか判らず、「いや、是非もない事です。」、と頭を掻いた。

しばらく、二人の間には沈黙しか存在しなかった。


夜が明けると、志乃は官十朗の着の身と持ち物を綺麗に揃える。

その際、指し物が長小太刀から太刀に変わっているのが気になった。

志乃が虎徹を眺めていると、「すまんな、今日は大物を釣りに出なくてはならないのだ。」、官十朗が起き上がる。

「後生です ! 私を置いては行かないでください ! 」、志乃は母親の小柄を掴んでいた。




「あんた、その金で「お玉」を身請けするつもりだろ ? 」、女は官十朗の早足に着いて行く。

「それがどうした ? 俺の勝手だろうが。」、官十朗はムっとして言った。

「馬鹿だね、藩の連中が待ち構えてるに決まってるじゃないか。もっと頭を使いなよ、なんなら、私ら一党が手を貸してもいいんだよ。」、その言葉に官十朗は女に向き直る。

「金か ? 」

「つまらない事、言うんじゃないよ。金なんざ困った事はないさ、頼み事を聞いてくれりゃ「お玉」はこっちで身請けしておいてあげるからさ。」、まんざら悪い相談ではなかった。

「何をすればいい。」、官十朗は志乃を救い出す為には何んでもするつもりだった。

「八州の菅沼備膳を斬っておくれよ。」、女はとんでもない事を頼んだ。

八州見回りと言えば幕府直属の役職である。

従者も数多く、旗本同然の振る舞いをしていた。

「お前、そいつに遺恨があるのだな ? 」、官十朗は女が只の「くのいち」ではない事を悟った。

「私だけじゃないよ、本当の事を教えてあげる。あんたの「多門志乃」を貶めたのも実は菅沼備膳さ。」、女は只ならぬ事を口にした。

「どういう事だ !? 」、官十朗は重松竜間がかばった人物像が見えてきた。

「そんなに難しい事じゃないさ。あの「藩」の不徳を菅沼備膳が見破り、800両だかを要求してきたんだよ。、殿様が重松竜間に奴への賄賂を命じ、そして多門家は人柱にされたんだ。」、官十朗には全てが見えた。

「わかった・・・が、お前の都合は何んなのだ ? 」、官十朗は突然、女に興味を持つ。

「・・・私も志乃さんの事情と大して変わりはないよ。永く「くのいち」やってるけど生まれは武家なんだ。」、女は俯いた。

太平の世では武家の風紀取締の為、公儀による見せしめ的な「取り潰し」が頻繁に行われていたのであった。

「そうは見えんが・・・」、官十朗が笑うと女は、「いけず !! 」、と怒鳴って歩き出した。


宿場を三つほど渡った山中で、官十朗は試し斬りをする事にした。

ヘマをすれば大勢と太刀合う事になる。

是が非でも「虎徹」もどきが斬れる刀でなくてはならなかった。

伝わる話では「虎徹」は松の大木を斬ったあと、勢い余って横にあった石灯籠に深く喰い込んだそうである。

官十朗は手ごろな大木を斬り殴った。

大木は大した手応えもなくスパっと両断される。

「本物であったか・・・」、官十朗は改めてその不細工な刀身を見つめた。

「どうだ ? 父上の虎徹は斬れるであろうが。」、女は得意顔で微笑んだ。

「なんだと ? ・・・おまえ、何処ぞの姫か ? 」

それから一週間ほど経ったある晩、女が官十朗の寝屋に入ってきた。

「あんたの「お玉」は元気に廓で働いているよ。なんでも武家の出なんだってね ! 」

機嫌が悪いせいか、女はそれだけ言うと出て行った。

官十朗は安堵する。

ここに来る道中ずっと、志乃が重松竜間の暗殺の嫌疑で拷責に合ってはいまいかと心が休まらなかったのであった。


翌朝、朝餉の席で、「先生、実はたっての頼みがあるんですが、いやぁ、御武家には不躾な事だとは判っちゃいますよ。 でもね、聞いちゃ貰えませんか ? その先生の「兼定」を売ってもらう訳には参りませんかね ? 」、親分は上目使いに物を言った。

「幾らで買う ? 」、官十朗は椀をすすっている。

「10両でどうです ? 」、えらく安い値踏みをされたものだ。

「30両なら親分のものになるぞ。」、刀屋に売れば100両にはなるが、それでは素性がしれてしまう。

官十朗は相場の半値以下を告げた。

親分は目を輝かせて、「ありがてぇ、代わりの差し物は何んでも好きな物を持っていって下せい。」、と官十朗を拝んだ。

官十朗は金を受け取ると刀部屋に入った。

博打のカタや斬り殺された用心棒の刀がたくさん転がっていた。

「これは「虎徹」に似ているなぁ。」、真贋は判らなかったが酷く刃紋の乱れた刀があった。

「虎徹」は見てくれは不細工だが、石灯篭を斬るほどの剣力を持っている。

「あの親分には「銘」しか判らぬのか・・・」、官十朗は「虎徹」を腰に差した。


その晩、皆が寝静まったのを見計らい、官十朗は一家のもとを離れた。

宿場の出口に差し掛かると、「一緒させてもらうよ。」、と暗がりから女の声がした。

「お前はついてくるな ! 」、官十朗がそう言うと、「女の一人旅は危なくてね。あんたも連れ合いが居た方が怪しまれないじゃないか。それに、私は何かと便利だよ。」、女はクスクス笑いながら近寄ってきた。

「好きにしろ。」、官十朗は幾分赤面しながら宿場木戸をくぐる。

「そ、そうだけどさぁ・・・なんで判るの ? 」、女は苦しそうに唸った。

「お前の身体は鍛えた体だ、判りやすい。 おおかた、賞金首を寝捕っている落ち忍(取り潰しなどで主人を失った忍者)あたりだろうが。」、官十朗は手を放す。

「趣味の悪い侍だね・・・で、私を斬るのかい ? 」、女は身繕いをしながら言った。

「命は助けてやる。そのかわり頼みを聞いてもらおう。」、官十朗はあぐらをかいた。


翌朝、「先生、親分が呼んでます。」、若衆が襖越しに声をかけた。

「先生、私ね、任侠やってるけど刀にはうるさいんですよ。良かったら、佐吉んとこの用心棒をぶった斬った長小太刀の銘を見せては貰えませんかね ? 」、親分はえらく機嫌が良かった。

「いや、お侍を丸腰にはしないですよ。そっから好きなのを持っといて下さいな。」、親分は壁に掛けてある三文刀を指差した。

官十朗は側にいた若衆に長小太刀を渡す。

目釘を抜いて柄を外した親分が「銘」を見て驚く。

「こ、こりゃ・・・兼定の「鬼斬り包丁」・・・あんた、一体何者なんだ ? 」

「名前は聞かぬのが約束だろう。お互い約束を守れば親分の一家には恐いものは無くなる。」、官十朗の顔つきが険しくなった。


その日から官十朗の待遇が変わった。

若衆の手下が身の周りの世話をし、女郎部屋から申し訳程度に床の間のある部屋へと移った。

「先生、よろしかったら夜慰みに女郎をお付けします。」、親分はまるで客をもてなす様な言い方をした。

官十朗は昨夜やってきた女の風体を告げる。

夜になり、「今度は本当に親分の言いつけだよ。」、と女がやってきた。

「あんた、相当な侍らしいね ? 」、女は襦袢姿になる。

「何か判ったか ? 」、官十朗は女の問いには応ぜずに切り出した。

「ゆうべの話は、まだ仲間が調べ中だよ。「お玉」っていうのは、そんないい女なのかい ? 」


あれから半年、逃亡を続けている官十朗は遠く離れた宿場に居た。

「高く付いたな・・・」、彼の懐には銀二ほどしか残っていない。

これから先を考えるとならば「職」に就かなければならない。

官十朗は任侠(やくざ)の敷居をまたいだ。

「あんた、腕は確かなのかい ? だったら、佐吉のとこの用心棒斬ってみなよ、若い衆を一緒に見聞に行かせるから。」、親分は用心棒志願の官十朗を穴の開くほど見つめて言った。

「おい ! 誰かこの先生の案内をしてこい ! 」、官十朗はその場で佐吉一家に行かされる。


「先生、間違っても佐吉の子分に手を出してはならねぇですよ。出入りになっちまいますから。」、見聞役の若衆は口を尖らせて早口に喋った。

「用心棒なら構わんという事か。」、官十朗は自分も使い捨てなんだと知る。

二里ほど歩いて、隣村の佐吉の縄張りに入る。

官十朗には剣才は無かった、しかし努力は怠ってきた訳でもない。

万が一、相手に斬られても獄門よりはマシだろうと自分を納得させた。

ほどなくして、佐吉のとこの子分が用心棒を連れて出てきた。

「すまんが、斬らせてもらう。」、そう言うと官十朗は小走りに抜刀していく。

相手の剣が宙を斬り、官十朗の長小太刀が用心棒の両の手を断ち切った。

「先生 ! 走って逃げます ! 」、二人は夢中で逃げ出した。


「先生、見事だったそうじゃないですか、こりゃ拾い物をした。早速、寝泊りして下せい、女郎部屋がひとつ開いてるんでそこを使って下さいよ。なに、名前なんか聞かしねぇから安心なさって、どうせ凶状持ち(指名手配)なんでしょうから。」、親分は高笑いをする。

夜中になって官十朗の寝床の襖が開いた。

「親分に言われたんだよ。」、女はそう言うと官十朗の布団に入るなり身体を絡めてきた。

「・・・お前、「くのいち」だな ? 」、官十朗は女の喉笛を鷲掴みにする。