終の棲家にしたい場所がないってのは先月から書いていた通りで、あれから心境の変化も動きもないどころか、1か月前のプレゼン会がダメだったことが思いの外ダメージが大きく、ぐんにゃりモードのまま今月終えそうな私である。頑張ったのはピアノの練習とサーフィンブログの更新だけかも。何やってんだか…な感じ。

 

うだうだ過ごしながらも気づいたことがあって。

そもそも今の住処に引っ越してきたのは失意がきっかけで、まずはあの状況から抜け出して立て直すことが目的だったこと。そんでもって、この場所に決めたのは通う職場の存在が前提にあったこと。

 

生活の中心が職場での仕事だから、ロケーションと最低限の部屋の居心地さえ良ければよくて、ゴミの出し方やら公共手続きの場所、ハザードマップを抑えておけば「地域に生きる」なんてことを意識する必要も特に無い。(自然災害に遭遇すればそうも言うてられないのはわかるけど)「仕事に生きる場所」なんだもん、地域(というか所属する自治体)への愛着を育む必要性も感じたことがなかったわけです。若くて健康な独身者なら尚更そうなんじゃないかと。

 

さらに私みたいに大学進学のために都市部に出てきた人は、実家から通えていた人よりもその傾向が強いのかもしれない。「仕事に生きる場所」の前に住んでいた家は「学校に通うための場所」で、そこがいわば人生のスタート地点って感じやもん。

これを「自分の人生を生きる場所」って認識に根本から替えんといかんのだなと。

 

実家や故郷に戻れる人はそない深く考えなくてもいいとは思うけど、とことん根無し草私はそうはいかんのです。

もうちょいこれに早く気づきたかったけど、それでも今日言語化できてよかった。