今日
クラスメイトの父親が亡くなった。
こんなことをブログのネタにするなんて、僕は頭が可笑しいんだろうか。
そう思いながらも、訃報を知らされた後に他人事でナイーブになってしまう僕は、案の定やるせない気持ちになり、色々と考えてしまった。
それを書き残しておこうと思う。
彼の父親とは、帰省の際に新幹線駅まで送ってもらったことがあり、その時一度会っている。
あまり社交的ではない、よくある「昔のお父さん」のような印象だった。
でもそれは、無愛想と言い換える様子ではなくて、人見知りというか、何と言えばいいんだろう…、寡黙な人…なんだろうか。
そんな印象だった。
対極的だがお母さんはとても社交的で、初対面で僕を下の名前で呼ぶ人だった。
そんな両親を持つ彼だが、僕と彼はそれほど仲が良いというわけではない、と僕側は思っている。
性格が極端に悪いわけではなく、至って月並みだが、「薄っぺらい多趣味」、「なんとかなる思考」という彼の性分が僕との空気を調和させない。
前者はつまり、バスケ、剣道、スキー、ギターなどいろいろかじってるけどどれも中途半端、ということで、これが気に入らないのはきっと、中に音楽が混じっているからだと思う。
僕はたぶんプライドが高い人間なので、自分の好きな事、頑張ってる事では絶対に馬鹿にされたくない。だからそれに見合った努力をして、自分を自分の許容レベルまで持ち上げる。
しかし、彼はいわば真逆で、正直、理解が出来ない。
分析をすると、彼の中では「出来る」というよりは「やった」という経験結果が重要であり、内容は問題ではない。馬鹿にされることは恐れていない。何故なら「やった」ことがあるだけで、努力したわけではないから。出来ないのも自分でも否めないのだろう。
そんなものに幾らの価値があるのかは僕には理解出来ないが、それは価値観の違いである。
後者はつまり、頑張らない、ということ。僕は頑張っても出来ないというのは責めることじゃないと思う。結果が出てない以上、努力が足りなかったことは確かだが、努力をしている過程に価値がある。頑張らないで出来ないのは当然の事だ。プロセス無くしてフィニッシュは有り得ない。それより質が悪いのは、出来ないの頑張らない、だと思う。これは、僕が一番嫌いなタイプだ。やらない~出来ないは仕方ない流れだが、出来ない~やらないには出来るようになりたいという意識が感じられない。そして僕が判断するに、彼はこれに該当する。
だから、僕の今の気持ちは何とも言いがたい状態に濁っている。
仲が良ければ大して深く考え込む事なく悲しいと思えたのかもしれない。
でも彼との関係が決してそうではない僕は今、処理し切れない感情が疑問として溢れ出している。
「なんで」を言い出すときりがないが、どうしても思考がそう向いてしまう。
なんでいきなり亡くなったのだろうか。
前会ったときにはどこか身体が悪いという様子はなかったし、そういう話も聞かなかった。もっとも、僕に話さなかっただけなのかもしれないが。
なんで彼の父親なのだろうか。
これこそ言っても仕方ないことだが、彼はあと3年、学業が残っているし、彼の弟は高校生だったと思う。
気の遣えないクラスメイトが「今後の学費、どうすんのかな」と言っていたのが生々しく僕の頭に残っている。
不摂生な一言だが確かに大変な問題である。
彼の家は共働きだったから、収入は今後も滞らないだろうが、2人分の教育費が払えるとは思えない。奨学金を申請したところで、生活費すら十分とは言いきれない。
僕にはこの程度までしか想像できないが、実際、今後の苦労はこんなもんじゃないだろう。
でも、これを機に彼は変わるだろうし、変わらなければならない。
このフレーズが浮かんで来た後、僕はすぐに、人間の死も他人事ならこうも打算的に、まるでロールプレイングゲームのイベントのように、次へのプロセスとして考えられるのか、と自分に嫌気がさしてしまった。
通夜は明後日の夕方からで、僕はクラスメイト数人と参列するつもりだ。
「がんばれ」は凄く簡単な励まし文句だが、これは他人事だからこそ言える言葉だから余り僕は好んでいない。
だが、彼を支える言葉がまだ見つからない…。
クラスメイトの父親が亡くなった。
こんなことをブログのネタにするなんて、僕は頭が可笑しいんだろうか。
そう思いながらも、訃報を知らされた後に他人事でナイーブになってしまう僕は、案の定やるせない気持ちになり、色々と考えてしまった。
それを書き残しておこうと思う。
彼の父親とは、帰省の際に新幹線駅まで送ってもらったことがあり、その時一度会っている。
あまり社交的ではない、よくある「昔のお父さん」のような印象だった。
でもそれは、無愛想と言い換える様子ではなくて、人見知りというか、何と言えばいいんだろう…、寡黙な人…なんだろうか。
そんな印象だった。
対極的だがお母さんはとても社交的で、初対面で僕を下の名前で呼ぶ人だった。
そんな両親を持つ彼だが、僕と彼はそれほど仲が良いというわけではない、と僕側は思っている。
性格が極端に悪いわけではなく、至って月並みだが、「薄っぺらい多趣味」、「なんとかなる思考」という彼の性分が僕との空気を調和させない。
前者はつまり、バスケ、剣道、スキー、ギターなどいろいろかじってるけどどれも中途半端、ということで、これが気に入らないのはきっと、中に音楽が混じっているからだと思う。
僕はたぶんプライドが高い人間なので、自分の好きな事、頑張ってる事では絶対に馬鹿にされたくない。だからそれに見合った努力をして、自分を自分の許容レベルまで持ち上げる。
しかし、彼はいわば真逆で、正直、理解が出来ない。
分析をすると、彼の中では「出来る」というよりは「やった」という経験結果が重要であり、内容は問題ではない。馬鹿にされることは恐れていない。何故なら「やった」ことがあるだけで、努力したわけではないから。出来ないのも自分でも否めないのだろう。
そんなものに幾らの価値があるのかは僕には理解出来ないが、それは価値観の違いである。
後者はつまり、頑張らない、ということ。僕は頑張っても出来ないというのは責めることじゃないと思う。結果が出てない以上、努力が足りなかったことは確かだが、努力をしている過程に価値がある。頑張らないで出来ないのは当然の事だ。プロセス無くしてフィニッシュは有り得ない。それより質が悪いのは、出来ないの頑張らない、だと思う。これは、僕が一番嫌いなタイプだ。やらない~出来ないは仕方ない流れだが、出来ない~やらないには出来るようになりたいという意識が感じられない。そして僕が判断するに、彼はこれに該当する。
だから、僕の今の気持ちは何とも言いがたい状態に濁っている。
仲が良ければ大して深く考え込む事なく悲しいと思えたのかもしれない。
でも彼との関係が決してそうではない僕は今、処理し切れない感情が疑問として溢れ出している。
「なんで」を言い出すときりがないが、どうしても思考がそう向いてしまう。
なんでいきなり亡くなったのだろうか。
前会ったときにはどこか身体が悪いという様子はなかったし、そういう話も聞かなかった。もっとも、僕に話さなかっただけなのかもしれないが。
なんで彼の父親なのだろうか。
これこそ言っても仕方ないことだが、彼はあと3年、学業が残っているし、彼の弟は高校生だったと思う。
気の遣えないクラスメイトが「今後の学費、どうすんのかな」と言っていたのが生々しく僕の頭に残っている。
不摂生な一言だが確かに大変な問題である。
彼の家は共働きだったから、収入は今後も滞らないだろうが、2人分の教育費が払えるとは思えない。奨学金を申請したところで、生活費すら十分とは言いきれない。
僕にはこの程度までしか想像できないが、実際、今後の苦労はこんなもんじゃないだろう。
でも、これを機に彼は変わるだろうし、変わらなければならない。
このフレーズが浮かんで来た後、僕はすぐに、人間の死も他人事ならこうも打算的に、まるでロールプレイングゲームのイベントのように、次へのプロセスとして考えられるのか、と自分に嫌気がさしてしまった。
通夜は明後日の夕方からで、僕はクラスメイト数人と参列するつもりだ。
「がんばれ」は凄く簡単な励まし文句だが、これは他人事だからこそ言える言葉だから余り僕は好んでいない。
だが、彼を支える言葉がまだ見つからない…。