「八月」母の書付 | showbabaのブログ

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八月 になった。
平成最後の八月。
20年ほども前の
私の母の書いたもので申し訳ないけど

八月だし。
私は自身のネタ切れということもあり💧



    息子と見た映画

過日、「葫蘆島大遣返(ころとうだいけんぺん)」
と題した引き揚げの記録映画を見に行った。
 わたしの引き揚げの記憶は子供の頃のことで、おぼろげなものだが、葫蘆島の名前は覚えていたので、一人でも見に行こうとおもっていた。
 当日、息子が
「連れて行ったるわ」
と車を出してくれたのはありがたかった。

 映画は、敗戦後、難民となった人々が、恐怖と絶望、飢えにあえきながら徒歩で、貨車でと、引き揚げ船の接岸する葫蘆島へ殺到するさまが、当時の記録写真とフィルムで構成されていた。
 今は風化した戦争の悲劇を再検証し、帰国を果たせなかった慰霊に捧げる鎮魂歌ともされていて、観客の涙を誘った。

 帰りの車の中で私は、家族で引き揚げてきた時の事を走馬灯の絵でも見るように思い出していた。
 ようやく乗船が許可され、荷物のように押し込まれた船内で、父が、
「もう大丈夫や。みんな、よう頑張った」
と言った時、母と声を上げて泣いた事。
 船の名前は“雲仙丸”だった事。
小さい妹達が、背負わされたりゅっくの重みから解放されて嬉しそうに笑ったこと。
赤ん坊の弟が死んだように眠っていた事…。

 息子は日頃から無口で無愛想だが、ひとこと、
「貞一さんも、五人もの子供を一人も死なさず連れて帰ったことで、その生涯は良しとせな、しゃあないで」
と言った。
 貞一さんとは父の名である、

運命の神様は、いつの時代でも気まぐれでいらっしゃるから、紙一重のところでひょっとしたら残留孤児になっていたやも知れぬ。

 しんみりしていると、息子が
「あんたの今の命があるのは親のおかげやで。口も体もまだまだ持ちそうやしなぁ」
と言うので、私も
「ほんまや。あんたも産めた事やし、感謝感謝」
と切り返しておいた。

 あの時の父は、息子と同い年の四十四歳であった。