フォレストレディース・スウィングオーケストラを応援してくださる皆様へ。

 

日々慌ただしく、あれ?この間9月だったよね?10月はコンサートしたばかりで

紅葉を観ようねって、誰と約束したのだっけ?

そういえば子供たちがテストだって言ってるな?期末?中間?あれーという感じで

11月も中盤を越えました。

 

そして明日、11月20日は私たちにとって忘れられない「デビュー記念日」です。

ときは2011年。震災の年でした。2010年8月に始まったプロジェクトは、この日

ひとつの集大成をみます。

YAMAHAさん、ホテルであるフォレスト・イン昭和館。

この12年の間には、メンバーそれぞれの人生においても、ホテルやYAMAHAさんの

関係者さんも、いろいろな変化がありました。

それでも、継続できているというのは、花岡先生や家族の理解と支えがあるからに

外なりません。

 

すこしふり返ってみましょう。

2011年11月へワープ!

下記のように新聞に掲載された途端、ホテルの電話が鳴り響きます。

会場400名を超える電話予約と問い合わせ。

400名がどういう動員かというと、東京でいうと「ブルーノート東京」

「本多劇場」クラスですね。

 

そこに大幅に超える500名ほど入って、さらに入場制限で帰った方も

いますので、スタンディングなら「新宿ロフト」満杯とも言えますね。

どうでしょう?結成1年でロフトをフルに出来るバンドって・・・

あ、例えが飛躍しすぎました。

 

メンバーは、オープン前の混乱を見ていないので、もっとも見ていても

緊張のあまり何も考えられなかったと思いますが、当日オープニングの

挨拶をしたジャーマネは、声を枯らして直前まで椅子を足してました。

 

今思うと、演奏のクオリティは「???」だったかもしれません。

しかしこの日はスタートだったんです。花岡先生はオーディションで

テクニックだけが優れている応募者を選びませんでした。

それは「クラシックではなくて、スウィングジャズを作るのだ」という

明確な目標があって、それは今も変わっていないのです。

むしろ人柄やキャラクターで選ばれたのではないか?という感じさえする。

12年経ち、オリジナルメンバーが半数以上というのも社会人かつ女性だけ

ということを考えればミラクルです。

 

まだまだ演奏機会も多くはありませんが、都内ホール、自主コンサートでも

ほぼ250名動員できるようになりました。レパートリーも沢山増えました。

練習光景だけは12年変わらず(ほぼ全員は揃わない)ですが、さらにスウィング

できるように練習しますね。

 

それにしても12年。あの頃ランドセル背負ってた子供が、今はコンサートスタッフとして

手伝ってくれる・・とか。あ、メンバーの「年齢時間」だけはなぜか止っていますので

御心配には及びません(笑)。