私、岡田有希子ちゃんの歌の中で、
くちびるNetWark……と言う歌が、
はっきり言うが、
余り好きではない……
当時、18才のアイドルが、
歌う歌詞ではない……
そう思う……
………私を抱きたい……
馬鹿ね、私は、すぐに
おちたりしない……
18のアイドルの歌詞とは、
思えないし、まず岡田有希子の
イメージと、違うと言う違和感?
確かに、70年代において
山口百恵ちゃんは、
青い性路線と言う戦略を、
取った時、14、15だった……
けれど彼女は、その路線を、
歌い切った……
今まで、根底に可愛いらしさを、
持っていた 岡田有希子の
イメージには、合わない……
しかし、この曲が、
彼女の残した曲の中では、
一番 レコードセールスを、
上げた。
路線変更に踏み切ったと言うなら、
それなりに理解できるが、
次の新曲 花のイマージュは、
元のアイドル路線の歌だ……
松田聖子(SEIKO)作詞提供
となっているが、
近くに松田聖子のファンが、いる方
聞いてみるといい……
松田聖子は、確かに
自分の作詞曲を、
沢山歌っているが、
彼女の作詞能力は、
ファンが、聞いても
平べったい歌詞……
くちびるNetWarkの歌詞が、
書ける程の作詞能力は、無い……
つまり、話題作りの唯の名義貸し
の曲である。
ユッコちゃんが、
デビューしてからすぐに、
有希子は第2の松田聖子……
ポスト松田聖子
と評された…
それに、対して、岡田有希子は
こう答えて、いる……
自分は自分だから
松田聖子の物真似には
なりたくない
ここに、一つ、岡田有希子の
プロとしての 勝ち気さを、
感じる。
事務所の先輩で、あり、
歌手としても、先輩である
松田聖子に、さん付けして呼んでない。
松田聖子は、歌手としての商品名……
岡田有希子も、歌手としての商品名……
商品同志の争いに、
敬称は、要らない。
又、他の質問としても
目標とする歌手は?
の質問に、
岡田有希子!
そう答えている。
勝ち気過ぎる程の勝ち気……
そして、度が過ぎる程の
負けず嫌い……
そんな彼女が、
何故、自ら死を、選んだ…………
彼女は、一度、大きなSOSを、
周囲に叫んでいる。
一度めの 自殺未遂……
はっきり言うが、
自殺未遂は、自殺未遂
本気で死ぬ気は、ない。
本気で死のうと思えば、
人は、確実に死ねる方法を、
幾つも知っている……
自殺未遂ば、周囲へのSOSなのだ。
一度めの自殺未遂で、岡田有希子は既に、
死んでいる……。残されたのは、
商品 岡田有希子ではなく、
普通の女子高生 佐藤佳代 なのだ。
何故、一度めの自殺未遂の後、
保護された 佐藤佳代の命を、
周囲の大人達は、守れなかった?
彼女の死後、鉛筆書きの
遺書と思われる物が、
見つかったという…………
遺書と思われる物って、何?
それって、本当に、遺書?
もし仮に、彼女が、
四面楚歌で、死ぬしかない
選択肢しかない状況に
追い込まれたとしたら、
その状況に追い込んた奴(力?)に
依る 自殺幇助・あるいは・
手をくださない殺人罪……
今となっては……真実を知らない方がいい
永遠の謎……
鉛筆書きでの書かれた
本当は、消しゴムで、消せた筈の
永遠の謎……
岡田有希子と言う命も、
佐藤佳代と言う命も
消えてしまった……
でも、彼女達は、死んではいない……
沢山の、大勢の、皆んなの
胸の中で、今日も、ほら……笑って
生き続けている。
それで……いいんだよ。
おまけに、あんまり世の中に出ていない
ユッコちゃんのエピソードを、二つ……
一つは、以前にも書いたが…
リトル・プリンセスのキャンペーンの
イベントの時……
二回に分かれて行われたが、
その合間の休憩時間……
ユッコちゃんは、
衣装のまんま、楽屋の柱の陰で、
小さい声ながら、
はっきりと、セーラー服と機関銃を、
歌っていた。
すぐ横の机で、サイン色紙を、
揃え直してた私には、、
はっきりと聞こえた
🎵さよならは、別れの、言葉じゃなくて、再び逢う迄の遠い約束〜🎵
再度、言うが、岡田有希子ちゃんの歌の中で、私が、一番好きなのは、私しか(多分…)聞いていなかった セーラー服と機関銃……
そして…もう一つ…
田中久美ちゃん
1983年 スリリング(日本フォノグラム)
で、デビュー ユッコちゃんと同期デビュー
ライバルであり、堀越学園の同級生であり、
親友でもあった。
田中久美ちゃんは、
デビュー曲 スリリング と
セカンド カリッと夏 で
二度 大阪・枚方・樟葉の
イベントに訪れている。
1984年 初夏……
カリッと夏 のキャンペーンの日……
マネージャーさんと久美ちゃん……
そして、もう一人、
当時の、女子高生の普段着の
鞄を抱えた度の強そうな眼鏡の少女……
うん!? 誰!?
え・え・え!? 岡田有希子ちゃん!?
おはようございます。
新人の付き人の 佐藤でぇ〜す
宜しくお願いします〜😮
そう笑いながら、
三人で、楽屋入りした。
場所と日付と時間……
偶像の奇跡が、作った
ユッコちゃんの休憩時間……
ユッコちゃんは、
机に座ると直ぐ
久美ちゃんの販促用の色紙に
久美ちゃんのサインを
書き始めた……
20枚位書いたかな?
田中久美ちゃんが、
書いたサイン
ユッコが、書いた田中久美のサイン
見分けが、付かない程
そっくりたった……
多分、学校の休み時間……
お互いのサインの真似っこを、
してたんだろうなぁ……
ユッコちゃんは、
久美ちゃんが、書いたサインに
ユッコちゃんが、
書いた久美ちゃんのサインを
混ぜ込んだ…
そして、イベントの
始まる迄の10分位…
二人は、椅子を並べて
他愛ない話に、
笑いあっていた……
その時間……
二人の、歌手が、
並んているのではなく
普通の二人の、女子高生だった……
そして久美ちゃんが、
歌っている間に
依頼されている色紙に
久美ちゃんのサインを書きこんて、
今後、よろしくお願いします❣
のメッセージと
久美ちゃんの似顔絵の
イラストを書いていた……
ユッコちゃんの自画像の
イラストの目は、縦長の黒い目
でも、久美ちゃんのイラストは、
久美ちゃんの特徴である
パッチリとした目
ちゃんと、書き分けていた……
ユッコちゃんの空き時間の
ちょっとした、い・た・ず・ら
その時は、佐藤佳代ちゃんの顔だった……
暫くして、
ユッコちゃんのマネージャーさんが、
迎えに来て、笑いながらでも
スタッフにバイバイして、
付き人の佐藤さんは、
帰って行った……
あの時……
久美ちゃんの カリッと夏 の
レコードを、買われた方……
あなたが、貰ったサインは、
実は、ユッコちゃんが、
書いたサインだったかもしれません🤒
田中久美ちゃんは、
1986年 堀越学園卒業前に
芸能界引退を、しています。
卒業式に出て 堀越学園からも
芸能界からも 卒業しています……
4月1日に故郷・福岡ヘ帰る事は、
決まっていました……
その前日……3月31日 夜……
久美ちゃんとユッコは、
電話で話を、しています……
それが、一番の親友同士だった
二人の……最後の電話……
久美ちゃんは、
地元・福岡で頑張っています。
久美ちゃんの胸の中にも
久美ちゃんのユッコが、
元気に生きている筈です
最終章 長文となりました。
最後迄、読んで頂いて
有り難う御座います。
お互い 胸の中のユッコちゃんと
元気な日々を暮らしましょう。
(FIN)