封筒は、空いていました 開けられた跡がなかったら最初から、閉じられていなかったのでしょう… 中には封筒と同じ檸檬色の便箋で、パールピンクの押し型が付いていた。「Oさん(手紙では、実名)  こんにちわ 私 増田恵子と申します。ピンクレディのケイといった方がわかりやすいかな? 先日、NHKのドキュメントで(二人の母親に育てられた人生)という番組でOさんの事を知りました…) そこまで読んだ後、その封筒の入っていた本に、封筒を戻しそのまま、レジに向かい購入しました。もうネット転売は出回っており、ピンクレディのケイちゃんの直筆の手紙… 直ぐに転売に掛けられ高額転売となったでしょう。なんか胸が一杯になり、泣きそうになりながら、それを、購入しました。買った本は、タイトルももう忘れたし、ケイちゃんには、何の関係も無い本でした。マンションの部屋に入って手紙を読み終えました。二人の母親に育てられた人生という番組を観た事… その事から発生する様々な苦悩や葛藤… ケイちゃん自体も同じ境遇であった為、Oさんに、想いを届けたいと言う想いで、手紙を書き自署の あこがれ という本を添え二人の母親への想いを綴った事を読んで欲しい…その想いで、ひたすら純粋なその想いで、書いたピンクレディのケイではなく、一人の 増田恵子 という女性の純粋な想いを綴った手紙…でした。読み終えて、一人の部屋で私は、声を上げ号泣しました。ケイちゃんが可哀想だから?こんな大切な手紙をブック・オフに売る様な人だったから? そうでは無いです。私は、子供の頃から(アニミズム)と言う考えを誰に教わるでも無く、持っていました。宗教学で突き詰めれば、精霊崇拝となるのでしょうが、ただ単に、私は、物にも命があると思っていた子供でした。それは、大人になっても持ち続けていました。心身共に疲弊仕切っていた私…誰をも信じられなくなった私…  ピンクレディが全盛の頃、四国の田舎の高校生だった。地方故、民放は、2局だった。でも、毎日ピンクレディは、出ずっ張りで見ない日はなかった。そんな誇らしい過去を持つていながら、一人の人間として、一人の唯の娘として、丁寧な優しい字で手紙を綴った(歌手の前に人間で在りたい…)知らない一般人に書いた手紙…速には額装した。その日から、程なく私は、退職した。孤独、不安、憂鬱、そして焦燥… 何度も何度も挫けたし、転げ回り、泥まみれになった。そんな時、壁のケイちゃんの手紙に、励まされた…

後々、ケイちゃんのパネルサインを貰える機会があり、二度、サインを貰えた。(わぁ〜 凄い!)富士山の曲に合わせた富士山の下地のパネルに…(わぁ!富士山だぁ~😀)明星(平凡?近映?)の企画でピンクレディがデザインしたリカちゃんのドレスのケイちゃんデザインのドレスを着たリカちゃん人形の下地に(これ❣私持って無い❣❣) 素直に喜んで呉れたケイちゃん… 手紙の事は、言えなかった…ううん…言わなかった。檸檬色の手紙は…今、私の倉庫部屋の箱の中で、色褪せなく眠っている… あの…最悪の時間の中で、励ましてくれて、ありがとう🫂 ゆっくりと、お休み…🌞 増田恵子さんの檸檬色の手紙…