本文より転載します
私が特に大事だと思うところに
赤色を付けています
この比喩には、わたしたちの生活における様々な状況の示唆が含まれています。恋愛関係、仕事、性格、健康管理などです。何も生み出さない恋愛関係にはまってしまっている人は、常にパートナーの要求、意見、非難に適応し、ボートを揺らさないようにします。 じぶんは我慢できる、あるいは適応する以外、自分にはないと思い込んでいます。
しかし、一般的には、このような方法で長期にわたって我慢することは、問題や限界点以外の何も生み出しません。思っても見ないところで、すでに取り返しのつかない状況に陥ります。もはや我慢できなくなって、飛び出し、逃げ、少なくとも状況や関係からの脱出の方法を考え出す必要があります。でも、その時にはすでに大きな傷を負ってしまっています。
もしかしたら、姿を現した最後の限界点に直面する力が残されていないかもしれません。エネルギーが残されていないからかもしれないし、出口がないからかもしれないし、今までは思っても見なかったからかもしれないし、もっと悪いかもしれない状況のために今の状況を抜け出すには、すでに傷を負いすぎているからかもしれません。
わたしたちの我慢する力は時に度を超えてしまいます。その過程で、わたしたちの力や希望は少しずつそがれます。
しかし、継続的にストレスの強い状況(長く続くのであればなおさら)は、もっと大きなスケールで心配しなくてはならない問題です。これらの状況は、いつもネガティブには思われないかもしれません。家庭内暴力などにこれが当てはまります。時にはポジティブな扱いを受け、また別の時にはネガティブな扱いを受け、それ以外は許容範囲だからです。こんな風に、不快感は常にそこに存在します。そして、対応できなくなるまで調節し続けます。
この事実に向き合う最も良い方法は、それを認識することです。つまり、自分の感情をボイコットして、多分これが普通なんだと自分に言い聞かせることではありません。同じ人、同じ状況に長い間あまり良い感情を持っていないなら、何かがおかしいはずです。
そこから飛び出さなくてはいけません。これは逃げ出すのではなく、船から飛び出し、状況に向き合い、どんな解決策が可能か考えることです。長く我慢している人には最終的に状況を変える力が残されていないことを忘れないでください。そのような状況では、すでにダメージがなされ、内面化されてしまっているかもしれません。
転載終了
20年も我慢してしまったから
心も体もぼろぼろになりました
別居後は心を回復させるために
自分の心が喜ぶ場所や人との時間を
大切にしながら生活しています
心も体もまだ疲れやすい状態です
自力で生活する力を取り戻すためにも
我慢することが当たり前の生き方に
さよならしないといけないです
ありのままの私で生きて
そんな私が嫌なら離れたら良い
ありのままの私を好きになってくれる人が
一緒に居てくれたら良い
もう人生は半分以上
終わったんだから
思うように
生きてみればいい