心が深く傷付いた 時、
優しさや思いやりと呼ばれるものが
血のように流れ出た。

痛い、
苦しい、しんどい、つらい、
心の呻き声は持ち主によって
無視された。
持ち主はあくまで平静を取り繕い、
何事も起こらなかったフリを
心が壊れるまで続けた。
持ち主はとうとう芽生えた

殺意を制御できなくなった。
結局、それを抑え込んだのは、
わずかに残っていた善良な心と
強く在り続ける魂と単純な恐れだ。
誰もけがをしなかった。

恐怖心を植えつけ、迷惑と心配は
かけたのだけれど。
誰も死ななかったのは、
不幸中の幸い
とでも言うべきか。
しかし、この時も今も
変わらないことは、
私が
深い傷を負っていることを
私以外、
誰も知らないことだ。
いや、あの時は、
自分
さえもが
分かっていないフリをしていた。
だから、今の方がずっと良い状態だ。
私は自分の傷の手当てをしようと
これでも努力している。


あれからそれなりに年月が経っていると
いうのに、私は以前のような
優しさと思いやりを取り戻せない。
今の私はかなり冷淡で人を見下す様な
傲慢で高飛車な人間と化している。



(2020.01.04.土「私」)