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サンスポ
吉永小百合&ニノ、サプライズ講義で先生に!学生450人大感激
女優、吉永小百合(70)が9日、長崎・国立長崎大医学部の記念講堂で行われた主演映画「母と暮せば」(12日公開)の長崎キャンペーンに共演の嵐・二宮和也(32)、山田洋次監督(84)と出席。映画の舞台になった同大で開講した特別講義に“小百合先生”としてサプライズ登壇。父方の叔父が同大のOBだったことを明かし、学生450人を大感激させた。
12日に控えた「母と暮せば」の全国公開を前に、国民的大女優が同作の特別授業で長崎に“緊急赴任”した!
この日、山田監督、二宮と長崎キャンペーンを行った小百合は、映画の舞台となった長崎大医学部を訪問。主人公、伸子(小百合)の息子、浩二(二宮)のモデルとなった同大の元大学長、土山秀夫氏(90)の特別講義が開催され、受講する学生たちには山田監督の来場のみ発表されていたが、小百合と二宮がサプライズで登壇した。
2人のスターがいきなり顔を見せると、450人の学生は「え~!」「嘘~!」「キャ~!」の大歓声。拍手に包まれた“小百合先生”は「父方の叔父が1938年に、ここの医学部を卒業しました。叔父は戦争に行って、マラリアにかかりましたが、(日本に)戻ってきてからは長崎の診療所でドクターをしていました」と同大との縁を感慨深げに告白。「とてもなつかしいところに帰ってきたという思いです」とほほえんだ。
一方、二宮先生は「映画の中で(自分は)皆さんの先輩。気になることがあったら、いつでも聞いてください!」とユーモアたっぷりに胸を張り、学生たちの心をわしづかみにした。
受講した医学科の女子学生(22)は、「びっくりしました。二宮さんはかっこいいし、吉永さんがすっごくきれいでした。山田監督もシャキッとされてて。映画を見たくなりました」と大興奮。学生たちに見送られた小百合も名残惜しそうに手を振っていた。
“特別講義”を成功させた小百合は、同市内の映画館で行われた先行上映舞台あいさつにも2回登場。精力的に長崎キャンペーンを行い、映画のロケでお世話になった街に恩返しを果たした。
また、同作の洋題が「Nagasaki:Memories of My Son」(海外配給は未定)に決定。ベルリン国際映画祭常連の山田作品だけに、長崎に続く“世界キャンペーン”にも期待がかかる。
デイリー
女優の吉永小百合(70)と嵐の二宮和也(32)が9日、親子役を演じた映画「母と暮せば」(12日公開)に登場する、長崎市内の長崎大学医学部をサプライズ訪問した。吉永にとっては父方の弟が長崎大学OBだった縁があり、二宮は劇中で同大の医学生を演じている。感謝の凱旋に、学生たち450人は悲鳴にも似た大歓声。二宮は役のモデルになった長崎大学教授の土山秀夫氏(90)との再会も果たした。
白衣の学生で埋まった講堂の空気が変わった。山田洋次監督(84)による特別講義の途中、司会者が「吉永さんと二宮さんも来てくれています」と告げた。学生たちからは「え~!?」と悲鳴が上がり、大女優と国民的アイドルの登場に万雷の拍手が送られた。
劇作家・井上ひさしさんが広島原爆を題材にした戯曲「父と暮せば」と対になる、長崎を舞台にした山田監督の最新作。劇中で二宮演じる医学生が通った長崎医科大学は、長崎大学医学部の前身。原爆で約900人が命を失った大学でもあり、4月のクランクイン前には吉永と二宮が爆風で傾いた門柱を見学するなど役作りに訪れている。
7月の長崎ロケでは地元エキストラ900人の協力に助けられた。ゆかりの地への凱旋。吉永は叔父が同大OBだと明かし「1938年に卒業し、戦争に行ってマラリアになったけれど、長崎の診療所で働いていました。懐かしい感じ。作品もずっと長崎の方に支えていただいた」と不思議な縁に目を細めた。
土山氏から聞いた戦争当時の話を役に反映させた二宮は、「戦争を知らない世代にも見ていただくことが僕の使命」と医者の卵たちに呼びかけた。
報知
女優の吉永小百合(70)と「嵐」の二宮和也(32)が出演する映画「母と暮せば」(12日公開、山田洋次監督)の英題が9日、「Nagasaki:Memories of My Son」に決定した。製作・配給の松竹はこれから本格的な海外セールスに入る。
米アカデミー賞外国語映画部門にノミネートされた「たそがれ清兵衛」(02年)は「The Twilight Samurai」など山田作品の英題は直訳せず、一文で作品のイメージが伝わるよう工夫されることでも有名。原爆を扱った「母と―」も「少しでも多く海外でも見てほしい」(関係者)と国際映画祭への出品を含め、検討に入っている。
この日は吉永、二宮らが映画の舞台にもなった長崎大医学部を訪問。講堂には白衣姿の医者の卵たち450人が。吉永は父方の叔父が同校の卒業生(1938年卒)。戦地でマラリアにかかりながらも帰還し、長崎で医者をやり通した。90代の叔母は存命だそうで「その家を訪ねたり、長崎は懐かしい場所です」。
同地は爆心地から約600メートル。映画で二宮が演じた浩二が講義中に被爆し、命を奪われる重要なシーンがある。学生を前に二宮は「僕は君たちの先輩。気になることがあれば何でも聞いて」と努めて明るくあいさつした。
吉永は決まった英題に「私の胸の中を表しているよう。撮影が終わり、二宮さんに会えなくて寂しく感じていたので」と言えば、二宮は「ありがたいことです」ときっぱり。公開まで2日。日本を代表する巨匠とトップ女優と過ごした時間を「正直な話、お二人は神と神。最初、自分のことを知られていないと思っただけに」。最後の“親子旅行”で感慨深げに出会いを振り返った。
スポニチ
ニッカン
映画ナタリー