YOMIURI ONLINE に記事あるんですが、


わが家の読売新聞には掲載ないですしょぼん


[評]「あゝ、荒野」(Bunkamura/Quaras)


平成の観客は、芝居を()てスポーツ観戦さながら熱狂する。彩の国さいたま芸術劇場の楽日(6日)に本作を観たが、彼らの熱気に圧倒された。若年から中年までの女性客がほとんど。スタンディング・オベーションが延々と続いた。


 1966年に寺山修司が出版した唯一の長編小説を、夕暮マリーが劇化。歌舞伎町が燃えていた、昭和の真っ盛り。2人の少年ボクサー、新宿新次(松本潤=写真後方)とバリカン建二(小出恵介=同手前)の出会いと、友情と呼ぶには、はかない関係と対決が活写される。建二と新次は、オルビー作「動物園物語」のコミュニケーションを求めるジェリーと、出版社のピーターの隠喩でもあろうか。


 ヒーローになりたい新次。モノローグに自閉するバリカン。隻眼のコーチ(勝村政信)、そば屋の女子店員(黒木華)、スーパーの社長(石井愃一)、娼婦(しょうふ)マリー(渡辺真起子)、早大自殺研究会の学生ら個性的で雑多な群像を回路として、ジェリーのナイフがひらめく瞬間へと収斂(しゅうれん)する。つまり新次と建二のリング上の死闘で、実にリアルだった。


 新次の名声への欲望と建二の対話への渇望は、演出家と俳優のせめぎ合いを追体験しているように感じた。ネオン街、ラブホテル、公園、ボクシングジムを、流れるように操作する、中越司の美術の中で。

 「マッチ擦るつかのま海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや」。原作通り寺山の幾つかの短歌を挿入して、平成の荒野に活を入れる。演出家・蜷川幸雄の、同時代を共有した寺山へのオマージュに違いない。(演劇評論家・北川登園)


 ――12月2日まで、青山劇場。