おくのほそ道 第14章

この宿のかたはらに、大きなる栗の木陰を頼みて、世をいとふ僧あり。橡拾ふ深山もかくやと閒かにおぼえられて、ものに書き付けはべる、その詞、栗

といふ文字は、西の木と書きて、西方浄土に頼りありと、行基菩薩の一生、杖にも柱にもこの木を用ゐたまふとかや。

 

世の人の見付けぬ花や軒の栗/芭蕉

この庵の軒に栗の木の花が咲いている。目立たないので、世間から評価されることもない。しかし、この花のように清貧に生きる庵の主人は、あの行基菩薩と同じ思いを、この花に託しているにちがいない。季語ー栗の花 夏)

 

 

確か、熊本県の北部に位置する菊鹿町、菊央町が栗の産地で、山の一面に栗が植えられているのを見たことがある。また、山を歩いているときに自生の栗の木を見ることもある。この付近では、県道不知火線の延長線上、不知火町から宇土市の街中へと入ろうとする信号機のある一角に栗を栽培していて、少し前、その栗の花が咲き誇っていた。

 

栗の花が咲く頃に、同じようにその他の木も花を咲かせる。そしてそのどれもが区別がつかないくらいに似たり寄ったり。白い花もなんだかもやもやしているようで「ああ、咲いてるね」という程度のことで、立ち止まって写真を撮ろうとまでは思わないのだ。ブログのために栗の花の写真を撮っておけばよかったと、今になって後悔している。貼り付けた写真はやむなくネット上の画像から拝借した。

 

 

武田友宏の解説文に以下のように記してある。世俗の名利を追う人間には、ひっそりと咲く黄白色の栗の花の価値はわからない。だが、清貧に生きる脱俗の人、栗斎こそ真の自由人である、と芭蕉は評価した。

※栗斎 等窮の友人で俳人、可伸ともいう。

 

 

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