あの有名人の、ひろゆきくんのインタビューを見せられまして…。
ネットになんでも書き込める、でっかい掲示板を作った、あの人ですね。
読んだだけなので、どこの記事なのかとか、全く知らないんですけど。
なんか子どもの頃にトカゲが大好きだったと。
それでお世話になってるお婆さん?
ご近所さんのところに、トカゲを沢山持っていってあげて、ばら撒いてあげたと。
それは幼い彼にとって、自分の大好きなものを相手にプレゼントしたという意味で、親切心だったと。
トカゲを沢山集めてくるって、大変ですよね。
自分が持って帰りたいぐらいだったと思うんですが、「そうだ。持っていってあげよう」って考えたのは、相手を喜ばせたい一心の、優しさや、あるいは共感性ですよね。
ところが、お婆さん、めっちゃ怒ったらしいんですよ。
笑って、嬉しがってくれると思ってた相手が、鬼のように(か、どうかは知らんけど)怒ったと。
少年ひろゆきくんは、それを敵意だと思ったと。
なんで親切をしたのに、共感を得られるどころか、こんな目に遭わされなきゃいけないんだと。
腹が立って噛み付いてしまったと。
俺の親切を受け入れない奴は報いを受けろと、やり返しましたと。
そのあと、ご両親が謝りに行ったけど、ひろゆき少年は相変わらず納得できず、自分の正当性を信じていたので、憮然としたまま育ちましたとさ。
これ読んで、アレ。
私も似たようなことしたことあったんだよなあ。
似たような展開になったし、なんで嫌がられてんねん。と、悲しくなったなあと。
そんな記憶が蘇りましたとさ。
ただ、結論が私と違う点があって、
ひろゆきくんは
「だから、自分がいいと思ったことを相手がどう受け取るかなんて、どうせわからないんだし、僕は僕の良いと思ったことをする」
と、突き抜けた方を選んだらしいのです。
私の場合は、
「だから、自分が喜んでくれると思ってすることが、相手にとってどうかは、どうせわからないんだから、聞いてから、同意を貰ってから実行しよう」
と思ったのです。
でも直球で聞いても、日本人の場合は本音をスパーンと言ってくれないので、本当のところは、嫌なのかどうかと、察することも一仕事なわけで、探りを入れなきゃいけなかったりしますね。
時間と労力が面倒くさいね。
気遣いすぎて、人間関係やめたくなるわ。
っていうね。
ちょっと、シンパシーを感じたので、そちらのエピソードから、お絵描きをしてみた次第です。
それから、トカゲは私も好きですが、
ばら撒かれたら普通に嫌だ。
踏んじゃうじゃん。
な?(なにが)
そんな彼でも、今となってはトカゲの好きな人は少数らしいと、流石に悟ったそうです。
更新できるって素晴らしいことだ。
そして失敗することも、失敗を恐れないことも、とても大事。
他人の反応はともかく、好きなものは好きで居続けよう。
そのこと自体は良いも悪いも無いのだから。
やや飛躍しましたが。
そんなことも思ったのでした。
今日のお話でした。
では、また。

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