発達障害と言われてしまう子。
他の子とは目の付け所が違うだけなのに、集団生活に向かないとか、馴染まないと思われてしまう子供達が居ます。
私の出会ったその子は、太陽が好きで、キラキラに向かって笑顔で走ります。
てんとう虫のように上に登りたがり、好奇心と自信に溢れかえっていて、音楽を愛でてうっとりしたり、美しいものには目がありません。
好きなものに恐れることなく近づき、離そうとしない情熱を持っています。
良い所だらけ。
みんなが集まる時間には、バタバタ1人で走り回っています。
だって、部屋が広くなるもんね。
みんなに興味ないしね。
楽しいことが好きなの。
だからこそ、集団が気が付かない危険をいち早く察知できる。
もし、その時、外に熊が忍び寄ってきていたら?
真っ先に気がつくのは、その子です。
危険を友達や仲間に知らせることができる才能を持ち、その役割を担うことができます。
それを活かせないのは、現代社会の病であり、社会側の問題です。
さて、本題。
子供が草をムシャムシャしてました。
先生たちは慌てて止めます。
止めてしまうのです。
そのとき食べていたのはハーブでした。
口にしても問題のない草です。
匂いもして美味しそうに感じたんでしょうかね?
私は、その子の欲求や行動を間違いとして扱うのが、とても嫌です。
その子の正解を歪んで受け止めたくないです。
不正解じゃないのに、バツをつける、それが教育者のやることなのか。
そんな方法しかないのか。
と思います。
私がしていいなら、草を一緒に洗います。
「ちょっと待って、これ食べられる草かなあ?毒があるかもしれないよ。調べてから食べないと危ないね。どれどれ?どうやらハーブの一種だね。これは食べられるやつだった。じゃあ、食べて良いか、育ててる人に聞いてみようね」
そんな会話がしたい。
「少しだけ食べても良いって。じゃあ、これだけね。よく洗ってから食べようね」
「どんな味がした?また食べたい?」
「次また食べたい草があったら、食べられるかどうか一緒に調べてみようね。食べて良いかどうかは、大人に聞いてね。食べるときは必ず水で洗ってからにするよ」
ダメならダメで、どんな理由でダメなのか。
彼らに伝えてやりたい。
頭ごなしにダメなことは、命に関わること。
尊厳に関すること。
ちょっと考えたいことは、危険があるかないか。
道徳的なことやルールから逸脱しすぎてないか。
聞いてみたいのは、その子の興味。
何故そうするのか、何故そうしたいのか。
彼らのような人たちが、人類を躍進させてきた。
保守的な人間にはできなかったことを次々に、率先して成し遂げたことだろう。
感謝して、これからも共に生きられる社会を作りたいものです。
自由で自然体な彼らを否定できるとしたら、それは社会的ルールに魂まで取られてしまった人だけだと思う。
そんな話なのでした。
現実的には、こんなふうに振る舞うのは、ただの保育補助には厳しい。
正攻法では難しそうなので、私は別の道からそれらを叶えていきたいと思います。
ではまたです。
