お散歩中
姉と弟を連れた父親が同じ横断歩道で信号待ちをしていた。
下の子は恐らく3歳いかないぐらい、園の制服と帽子。
上の子が5歳ぐらいで、髪の毛がボサボサだった。
成長が遅れていれば、もう少し大きい子たちなのかもしれない。
姉は明るく振舞っていた。
無邪気な感じがする。
弟は覇気のない表情で、座って電柱を触っていた。
父親は私より年下か、30代前半といったところだろう。
本当に普通の人だ。
と、父親が注意を口にする
「そんなところ、犬がおしっこかけてるで。触ったらあかん」
1度目の注意をきかず(?)弟は電柱に触れ続けた。
そこで児童の後ろから、お尻に向かっての足蹴りである。
「あかん言うてるやろ!!」
軽い体が前に倒されて、四つん這いに手をついた。
姉は身じろぎできず、弟を静観する。
弟は無言でたちあがり、父親を見上げる。
父は教育を成した顔で弟を見下ろし睨みつけていた。
で、私はというと、
「今のは虐待ではないのか」
「どうしよう。どう言おう、どう戦えばいいのだ」
と、幼い姉同様、困惑していた。
隣のおばちゃんは、「うわー」という顔をして、
素知らぬふりで目を背けた。
弟は地面を見つめ、今の出来事を受け止めきれずに居る。
姉が気丈にふるまって、なにか歌を口ずさんだ。
父親は2人を見張っている。
見守っているのではない。見張っている。監視しているのだ。
悪いものだと決めつけているかのような態度だ。
「ああ、何か言わなきゃ。何か伝えなきゃ。
“蹴るのは良くないですよ”」
胸には言葉が出てきた。
あとは伝えるだけだ。さあ。
とか勇気を奮い起こそうとしていたら、信号が青へと変わった。
私は動けなかかった。
親子は歩いて行った。
おばさんは走り去るように、ずんずんと進んだ。
追いかけろ、話しかけろ。
その背中を追って、少年と少女を追い抜いた。
目に入った少年は悔しいのと寂しいのと悲しいのと、怒りを抱え、不条理に耐えるようにしゃぶるように指を噛んでいた。
親の横まで来て、息を吸った。
が、私はそこから、そのまま逃げてしまった。
戦えなかった。
負け戦だ。
今日も負けた。
何度となく負けて来た。
勝つことも時にはあったが、10戦あれば、1勝ぐらいだ。
あの時、あの子のために声をあげることができたのは私しかいなかったのに。何をしているんだ。
「あなたは親だけど、それ以下でも、それ以上でもない。この子にはこの子の人権があります。あなたに蹴られる筋合いはない。教える気があるなら、言葉でわからないなら、そこから物理的に移動させて下さい。それでも危険な方へ近づくなら抱きかかえて帰って下さい。あなたの分身なんですよ?あなた自身と同じぐらい大切に扱って下さい」
帰りながら言えなかった言葉が溢れかえった。
さあ、自責の時間だ。反省会だ。今日も。
「お前は大人であることを放棄した」
「こんなこと一つ言えないやつが、作家になんかなるな」
「嫌な時間だ。でも私には一瞬のことで、彼らには一生のことなんだぞ」
溺れる者を見捨てた私はどうだ。
堂々と道を歩けるのか。この野郎。いい加減にしろ。
つぎは負けないぞ。
絶対に声を出す。
ともかく、意味のある声でなくてもいい。
「あー!」
と一言でもいい。
キッカケがあれば、なんでもいい。
ーって、毎回思うのです。
こんなこと、無くしていきたいですね。
あの子たちが生きやすいように、してあげたいです。
ちゃんと泣けるように。
甘えてもいいように。
私は未来の犯罪者を作ってしまったかもしれないのです。
私の大好きな人たちを将来、その子がとんでもない方法で苦しめるのかもしれない。(理不尽を自分だけで抱えて終わらせることは難しいことです。もちろん誰でもそうなるわけではないし、ただの悲観的な想像でしかありません。それでも……)
そんな、エゴでいいんです。
みんな、被害者になりたくない。
被害者の家族にもなりたくない。
みんな、加害者になりたくない。
加害者の家族にもなりたくない。
平和は戦って勝ち取らなくちゃいけないと私は思います。
他人が勝手に作ってくれたりはしません。
ごめんなさい。
何も言えなかった。
子供たちは父親のうしろを歩いていました。
姉が弟の横に寄り添うように並んで、手を繋いでいました。
彼らには優しさがあるのです。
父親にも、無かったわけじゃないのはわかります。
蹴飛ばしたといっても、彼の感覚で言えば軽く押したようなつもりでしょう。怪我をさせたいわけじゃなくて、あくまでしつけのつもりです。
でも、間違ってる。
間違っていることを第三者の目から伝えなければ、彼にそれが理解できる日は遠いでしょう。そして、その時では遅いのです。
以上。
懺悔にお付き合い、ありがとうございました。
途中まではいい散歩だったんですけどね。
自分だけが幸せになっても、それはちっぽけなことですね。
日本って病んでるんでしょうか?
海外でこんなことがあったら、皆は止めに入るんでしょうかね。
当たり前のように介入できる。
そういう文化になってほしいものです。
そして私も変わっていきたいです。