昭和の庶民の私は、
加速する時代の速さに疲れ
ゆったり流れる過去の時間に身を委ねます
進め進め前を向いてアップデート・・・?
私自身のささやかな歴史はともかく
もっと大きな過去の人達の努力も
きれいさっぱり消し去る様にだけは
なって欲しくないと祈るような気持ちです
今の考えだから、外国に遅れているから、
というだけで
無条件に今までの日本を否定して欲しくない
その時代その時代の人が
どんな思いで生きていたのか
本当のところは私(達)に
分かるはずも無いのだから
前後左右に偏らず、決めつけず
「好き」には「好き」で応え
「嫌い」には無理にすり寄らず
そんな理想の自分でいられない
流れに乗るというよりも
流されている感じがして
抵抗すると、古いよ!老害かよ?などと
思われかねない
歳を重ねるって、こういう事なのかな
勿論今の生活の殆どが楽しいので
今書いたようなことはたまにフッと思うだけ
今の現実の楽しさに加えて
思い出にキュンとなる、振り返りの時間も
元気の源になります✨
母は生前、3つのことを
思い出してはよく懐かしんでいました
若い頃実現出来なかったこと2つと
もう再現できないこと1つ・・・
15歳で終戦をむかえた母が
今で言うOLだった頃に
実現出来なかったことが2つ
1つは、宝石のメキシコオパールの話
職場のそばの宝石店に飾られていた指輪
メキシコオパールには色々な色があって
それも複雑に混ざり合った柄
その中の1つに格別に美しいものがあって
「いつか欲しいな」と
前を通るたびに見惚れていたそうです
当時で3万円くらいで
とても手の届く額ではなく、買えぬまま💧
それ以上に美しいと思うメキシコオパール
には、二度と会えなかったと
寂しそうに言っていました
会えなくて良かったのかもしれません
高額で、結局買えなかったでしょうから😅
OL時代のもう1つは、ハワイ旅行の話
1950年代、職場の旅行や宴会が多い頃
国内の電車の旅が好きだった母
江の島、熱海、軽井沢
職場の仲間や上司との楽しげな写真も
残っています
(山?スカートの女性もいますが💦)
(宴会の出し物の劇ですね)
それでも、当時は夢のような話だった海外に
行ってみたかったようです
特にハワイ!
宝石同様、一般庶民には高嶺の花
それ以前に、今のように普通に行けたかな?
母は旅嫌いな父と結婚したので
ハワイ旅行も行けないまま・・・
娘の私が成人した頃に「ハワイ旅行する」と
言うと自分のことのように喜んだ母
もう1世代後に生まれていたら
存分に旅を楽しめたんだろうな、と
自分は贅沢な時代を生きてるな、と
申し訳ないとさえ思ってしまいました
3つ目は、もう再現できないこと
これは、ラーメンの話
母と父が新婚の頃、
近所にラーメン屋さんがあって
そのラーメンの味が最高だったと!
晩年、ラーメンを食べる度に
「こくたいのラーメンが一番美味しかった」
と言っていました
新婚当時は2人で麻布十番でアパート暮らし
ラーメン屋さんの名前は字は分かりませんが
確か『こくたい』と言っていました
軽く調べても70年近く前のことなので
出てきませんでした
「こくたいのラーメンが一番美味しかった」
の後に、必ず
「美味しいものの少ない時代だったから
美味しく感じたのかもね
今食べたら大したこと無いかも😅」と
付け加えていました
ラーメンは日々美味しくなっています
でも、あの時のラーメンを今より
美味しかったと母が思う理由は
美味しいものが少なかった、それだけでなく
新婚時代の思い出が
ラーメンの味に溶け込んでいるからでしょう
(👆新婚時代💖紅い薔薇を抱いて🌹)
今日は、母がキュンとした思い出の話でした
昔憧れたものや美味しく食べたものには
その時の自分の状況や思いが詰まっていて
何かの拍子にふと思い出してはキュンと✨
私自身も(今は無い)キュンとする瞬間の
思い出のお陰で楽しんだりしています✨
思い出に脳を刺激してもらうことが
先に進む原動力にもなっているこの頃です♪
欲を言えば、
古い人?にも良さがあるんだね、と
思ってもらえる人になりたいです😉
(なっちゃんも同感ですわ=^_^=)