電子機器、及びその説明書全般が天敵の私は
携帯電話(ガラケー)デビューも
世間からかなり遅れを取っていました😅
記憶では、1台目を購入したのが
2006年頃で、
写真と電話以外の機能を理解しないまま
殆ど使わないうちに何故か壊れて
本格的に使用する為に2台目を購入したのが
2010年末
操作どころか本体に触れるのさえ怖くて
箱入りのまま年が明けて
職場の仲間や、
同時購入後すぐ使用開始した旦那さんの
応援?もあって
やっと使い始めたのが2011年3月初め💦
その直後、メールのやり取りを覚えた頃に
3月11日の震災がありました
当時のガラケーは、現在目覚まし機能のみ
使っていますが
写真やメールはそのまま残っているので
震災当日のメールを見ると
消してしまっていて見られませんでした
が、一応ゴミ箱を見ると
受信メールだけ残っていました
当時高1だった次男からです
恐らく、私からのメールへの返信でしょう
発生(14時46分)直後の私のメールも
送れたし
12分後の次男からの返信も届きました
学校も自宅も、同じ千葉北西部です
その後、幾度かやり取りしたくても
うまく繋がらない状態があったことが
次に届いた彼からのメールで分かります
3時間程、連絡が取れずに
お互い不安でした
地震の時、彼は学年末テスト中だったので
高校の図書室で自習していました
そのまま帰れず、校内のホールで
学校備えの毛布やご飯を頂いて
友人たちと朝まで過ごしました
自転車通学だったので、翌日無事帰宅🚲
高2の長男は、同じくテスト期間中で
家に帰って、祖父母といました🏠
家は本棚の本が落ちたり
食器棚の中で食器が数枚割れたくらいでした
中2の娘は学校で授業中で
暫くしていつも通りに徒歩で
無事に帰宅しました👣
私達夫婦は、のん気に隣駅の川沿いに
お花見に行っての帰り道でした🌸😅
(当日昼頃、晴天、マック食べて)
予定では、ここ千葉北西部から遠征?して
東京の桜のありそうな所へ行く予定のはずが
当日朝、私の足が痛くなったので
近場で済ませたのが幸いしました
遠くへ行っていたら、帰宅難民
その日のうちに帰れなかったかもしれません
家の最寄駅に降りて、駅前スーパーに
入ろうとした時に揺れだしました
足元の地面が波のように揺れて
目の前のスーパーの中の
お酒コーナーからかボトルの次々割れる音
後ろを振り返ると
駅舎が大きく揺らいで
巨大生物のように恐ろしかったことを
覚えています
この時点ですぐ、次男や家族に連絡しました
(直後は普通にメールが繋がったのですね)
千葉北西部は震度5強と報道された記憶
自分の感覚では、以前の地震の経験も踏まえ
もっと大きく感じました
揺れを感じながら、
「絶対にここが震源だ
ここより揺れた場所があるはずない」と
思っていたのに、
帰宅後ニュースを見て
震源地はここではなく、三陸沖で
深刻な状況だと知りました
テレビはオワコン(と言うらしい)で
携帯電話(スマホ)依存の時代・・・
でも、いざとなるとテレビが頼りになります
携帯デビュー直後のあの日に、
携帯電話の便利さと危うさ(不確かさ)を
両方体験しました
ドラマ『不適切にもほどがある!』で
食事デート中に男性が
スマホを無くした事に気付き、
現金を持たないので支払い出来ず、
知り合いにお金を借りようにも
普段スマホ頼りで
誰の電話番号も覚えていないため
無銭飲食で捕まってしまいます
(昭和からタイムスリップしてきた)彼女は
慌てふためき「終わった」と嘆く男性を見て
不思議そうに
「あれ(スマホ)が無いと終わるんだ・・」
電車利用時の“PASMO”以外は
現金でしか払う術を知らないので
「そろそろ時代に追い付かなくちゃ」と
焦り始めていたので
彼女の一言に思わずニヤッとなりました
今後、私と携帯電話、スマホとの戦いは
さらに激化していくと思いますが
震災の日に身にしみて感じた
次男と連絡が取れた時の有難さ
その後暫く繋がりにくかった時の心許なさ
・・・等々ひっくるめて
スマホは必需品になっちゃったんだなぁ
と認めなくては、ですね!
ただ、
「あれが無いと終わるんだ」にならないよう
100%スマホ生活にはなって欲しくないと
願う自分がいます😅