母が晩年、

「あんたは、カラヤンの指揮で歌ったことが

 あったわね」と言っていました

昭和40年代に私が児童合唱団にいた頃の

母の記憶ですが

私は全く覚えていません

もし本当なら「忘れるんじゃなかった💦」と

ものすごく後悔するレベルの話です

 

交響楽団の演奏の一部分に

“天使の歌声”的に児童合唱が入ることが

あったし、

“第九”喜びの歌を演奏に合わせて

大人の合唱団と歌うこともあったので

どこかで指揮者がカラヤンだったという事も

絶対に無いとは言えませんが

母の存命中にもっとしっかり聞いておけば

良かったと、少しだけ思います(^^♪

 

最近亡くなった小澤征爾さんの記憶は

自分の中で鮮明に残っています

カラヤン(の母の記憶)と同じ昭和40年代

これも、どこの交響楽団だったのかも

(彼がN響と距離をおいていた時期らしい

 ので他の交響楽団だと思います)

曲は何だったのかも忘れましたし、

本番の記憶が無くて

しっかり覚えているのは

小澤征爾さんの指揮での始めての

レッスンの日の記憶のみです

 

彼は30代半ば、私は10歳前後、

指揮者が誰とか考えない年頃でしたが

新進気鋭の指揮者が来る、との情報は

ゲットしていました

 

演奏者、合唱団のメンバーと

先生方(指導者)がスタジオで待っていると

彼が颯爽とやって来ました

先生方がちょっとイラついていたので

時間ギリギリに来たのか

もしかして遅刻気味だったのかも知れません

子どもだった私の第一印象は

頭ぼさぼさで元気な大人!でした

そして、当時の一般的な指揮者の

(私の)イメージは

ジャケット姿で、ヒートアップすると

ジャケットを脱ぐ

その下に着ているのはとっくりセーター

・・・だったのですが、彼は

水色と白の縦縞模様の

たっぷりしたサイズの開襟シャツでした

 

その時の服装が記憶に残っているのは

指揮棒を持つ人のイメージから

かけ離れたファッションだったからだと

思います

 

「頭ぼさぼさで、パジャマみたいの着て」

とどこかから小さい声が聞こえたのも

しっかり覚えています

でもね、きっとあのシャツは

イタリア製とかの高級品だったのです✨

昭和ひと桁のファッションに

疎いおじ様達が知らなかっただけ😅

 

息子さんの俳優小澤征悦さんが

豪放磊落な役の時と

キャラが重なります

 

少なくとも、あと1回本番でお会いしたのに

記憶が無いのがこれまた残念💦


貴重な体験をしていたのに、

森山良子さんと並んで歌ったり

別の合唱団にいた黒猫のタンゴの

皆川おさむ君の頭を撫でたり

和田アキ子さんがめちゃくちゃ優しかったり

・・・そんな事の方が嬉しかった

もっと大人になってからだったら

事の重大さ、有難さが分かったのになぁ😅

若かりし頃の小澤征爾さんの思い出

勝手な一方的な思い出でした✨

それにしてもカラヤンの件は

これからも謎のままなのでしょうね・・・

 

(合唱団の頃の練習本)

(同、予定表、出席表)

 

「今はあんなにオンチなのにねぇ」

「興味無いしィ~」