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岸田総理は自ら、

 

3月13日からは、

「マスク着用を見直す」

「個人の判断にする」

と提言されています。

 

総理曰く、

学校の卒業式で

マスクは歌を合唱する時を

のぞいて外してとのこと。

 

ほんと、すっかり

「物申す総理」

になられましたね。

 

このマスク着用

一体何のためなのか、

改めて考えてみました。

 

コロナ禍以前、

マスクの位置付けは

基本的に

体調の悪い人「だけ」

がするものでした。

 

風邪などひいて

体調悪い人が

感染症を他人にうつさない

ためにするもの。

 

マスクとは

 

風邪など自分に

うつらないため

ものでは無く、

 

風邪など他人に

うつさないため

ものだったわけです。

 

だから健康な人は

マスクをしなかったし、

する意味が無かった。
(例外:お洒落アイテム)

 

それはコロナ禍に

おいても同様で、

 

新型コロナが自分に

うつらないため

ものでは無く、

 

新型コロナを他人に

うつさないため

ものだったわけですね。

 

コロナ禍中に

「マスクの新常識が

発見された」とか、

「新機能のマスクが

開発された」

なんてことは無い限り、

マスクの役割は

以前と同じです。

 

以前と同じならば

 

「健康な人にマスクは必要ですか?」

 

と問われれば

「不要です」だし、

 

「感染した人にマスクは必要ですか?」

 

と問われれば

 

「本人には不要だけど、

他人のために必要です」

となります。

 

マスクは

 

「自分が感染するのを

怖れてするもの」

では無く、

 

「他人に感染させるのを

怖れてするもの」

 

だから

マスク着用問題は、

 

「本人はマスク不要だから

外したい。でも他人からは

マスク着けろと厳しくうるさく

言われがちな構造」

 

なのです。

 

新型コロナの

厄介なところは

 

無症状の場合、

感染しているかどうか

本人にも不明なこと。

 

高熱でも出れば分かりやすい

ですが、分かりやすい症状

が出るとは限りません。

 

その中で、ほぼ全員が

マスクをしていたのは

 

「とりあえず感染している

前提で行動しましょう」

 

となっていたからですね。

 

「自分が感染しているか

自分では判断できないから、

他人の健康のために、

”念のため”マスクをしている

 

わけです。

 

今後、国の方針は

 

「個人の判断に任せる」

 

ということでしたら、

 

多くの人は

マスクしなくなるん

じゃないですか。

 

「本人には不要」

なのですから。

 

他人に必要な時は

ありますが、

「個人の判断に任せる」

なら、他人は何も言えなく

なります。

 

だからマスク着用を

やめる焦点は、
「他人の許可取り」

でした。

 

他人の許可をとるには、

2つの方向があります。

 

「他人のために

”念のための”気配りまで

する必要はもう無い」

という考えが多数になるか

 

もしくは

トリッキーな方法ですが、

日本国民にとっての

マスクの位置付けを

 

「自分が感染しないための

ものである」

 

にすり変えるかです。

大衆を情報操作して

特定の考えに誘導するわけですね。

 

現実は両者のミックスっぽい

ですが、割合は分かりません。

 

ちなみにコロナ禍以前、

欧米でマスクをしていた

一般の人たちの動機は、

”自分のため”でした。

 

感染症予防というより、

汚い空気を吸いたくない

みたいな理由です。

 

だから自分自身の

感染予防にならないと

判断したら、

マスク着用する理由が無い。

 

実際ならないわけですし。

 

しかし、

自分が他人に感染させるのを

防ぐ効果は多少あります。

 

現代日本はどのような考えに

傾いたのか?

 

今後

 

「感染症にかかったっぽい人がどうするのか」

 

は気になるところです。

 

自分の損得”だけ”を考えるなら、

寝込むほどの体調じゃなければ、

マスクせずに外出するのが

「得=合理的」なのですから。

 

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