この数日で色々な

立ち位置・考え方の人と

話す機会がありました。

 

政治でいえば

保守の人、リベラルの人

 

コロナ禍でいえば

楽観論の人、悲観論の人

 

ワクチンでいえば

親ワクチンの人、反ワクチンの人

 

何もぜんぶ僕の目の前に

並べなくともいいのにね😆

 

アメリカの薄い知人達から

向こうの情報が随時伝わってくる。

 

それぞれ、

かなり悩まれた中、

ひとつの決断をしていた

のは立派だった。

 

その体験を読んでいると

 

ワクチンひとつ

打つ打たないが、

 

政治家でも無いのに

政治的判断になっている。

 

ずいぶん重い決断なんだと

そこは驚いた。

 

ある若い女性の投稿は

 

私の友人知人からも

いろいろご批判あること

重々承知しているが、

しかしながら、

自身の行動の自由や

周囲への影響を考慮し、

これが最適だと判断し

行動した。

 

そんな内容だった。

 

その人のコメント欄を見ると

Facebookという友人知人に

囲まれる炎上しにくいSNSにも

関わらず、腹に一物あるような

含みあるコメントが並んでいた。

 

それでも心の近い友人達は

 

「◯◯ちゃん、いいね!」

なんてよくある軽い共感を超えて

 

それぞれ様々な事情をよく考え、

重い判断や同意をされていた。

 

僕自身はその人達のことを

 

「ずいぶん立派じゃないか」

 

と感心・尊敬した。

 

別にAを選ぼうとBを選ぼうと

どっちでもいい。

 

しかし色々悩み、

自身のこと、周囲のことを

様々よく考えて、

もっとも適切と思う判断を

下し、実際に行動したことは

 

成熟した大人だと感じました。

 

その判断が健康面で

正しかったのかは

時間が回答を示すでしょう。

 

ただ、ご自身が

周りの意見に

左右されながら、

最終的に

 

「その左右を外して」

 

自身が考えうる

ベストな決断を下されたことは

すごく尊いことに思いました。

 

逆に、

 

「たかがこんなことで

ここまで重い決断を迫られるのか」

 

と驚いた。

 

「首相かよ!」と思ったわ😆

 

そんなに周りのプレッシャー

両サイドからの圧力すごい

んだなと不思議でしたね。

 

おそらく日本はまだ

それぞれが

 

「重い決断」

 

を迫られる一歩手前でしょう。

 

台風か何かがやってきそうな、

何となくの予感を感じている

状況でしかない。

 

すでに台風真っ只中の国々とは

少し状況が違う。

 

僕自身はコロナのワクチンを

打つ打たないについて、

特に何も言わないことにします。

 

ここまで重い決断になるのなら、

他人にあーだこーだ、

何も言えない。

 

その人を惑わすだけになる。

 

それぞれよくお考えください。

 

よくお考えになられた上での

決断は打っても打たなくても

尊敬します。

 

悩み決断するプロセスが

尊いので。

 

私も考えます。

 

「自分で考える」

 

これがうちのブログの

コンセプトですから。