古事記/日本書紀の

国譲り神話をご存知でしょうか。

 

高天原と呼ばれる天上界にいる

アマテラスオオミカミが、

 

高天原と黄泉の国の間にある

葦原中国、ようするに

この地上の日本国は、

 

アマテラスオオミカミの

子孫が治めるべき国であるとして、

 

葦原中国の主である

オオクニヌシノカミに、
(日本書紀ではオオナムチ)

あなたの国を譲れと

交渉する神話です。

 

すんなりとはいかず、

交渉 の失敗や小競り合いを

何度かしたのち、

 

オオクニヌシは条件を出して

国を譲ります。

 

その条件が

出雲大社の建造でした。

 

この神話の特徴は、

 

戦争によらない

政権交代

 

です。

 

現代だと選挙による

政権交代が普通ですが、

 

人類の歴史は戦争の歴史。

 

権力闘争とは、

最後は、何なら最初から、

戦争による決着でした。

 

それは日本においても

同様で、江戸時代の始まり

まではそうだった。

 

徳川幕府は戦争により、

豊臣家から天下を取った。

 

豊臣家は滅亡した。

 

そして約260年続いた

徳川幕府も終わりを

迎えるのですが、

 

その最後の将軍が

第15代・徳川慶喜公です。

 

将軍といえば3代目以降は、

お飾りになっていくわけですが、

 

最後の将軍は

頭が良く器用で、

将軍らしからぬ、

何でも自分でできる、

自分で考えられる人でした。

 

慶喜公は、

天皇陛下の朝廷に

政権を返上する

 

「大政奉還」

 

を実施。

 

オオクニヌシノカミが

国譲りをしたように、

自ら政権を返上した。

 

しかし徳川家が

大きく影響を持つことを

良しとしない討幕派の

クーデターで

戦争が起こるわけですが、

 

さらに

江戸城の無血開城を

慶喜公は決断します。

 

これらの判断は、

 

幕府の側で戦った人達

からしてみれば

評判は悪かったでしょう。

 

クーデターを起こした

新政府側にとっても、

敵の親分ですから、

良い評価を得るわけがない。

 

このご決断で

苦しい思いをした人が

沢山生きている時に、

高く評価することは

難しかったでしょう。

 

誰とも相容れない

個性的な変人だった

徳川慶喜公ならではの、

ご決断だったと思います。

 

僕はブログの

タイトルの通り

 

徳川慶喜公は

オオクニヌシノミコト

として振る舞ったと

見ています。

 

オオクニヌシノミコト

として、

 
アマテラスオオミカミの
子孫たる明治天皇に
政権を返上した。

 

古事記/日本書紀の

国譲り神話を、

この時代に行ったと

思っています。

 

このような神話的決断を

する背景はあって、

 

慶喜公は水戸の人なんです。

 

水戸藩は徳川御三家の

ひとつで、

 

徳川斉昭公の7男として

慶喜公はお生まれになります。

 

徳川斉昭公といえば、

 

「水戸の烈公」

 

と言われる

激しい気性で、

尊皇攘夷思想の

カリスマでした。

 

尊皇攘夷思想の

もとになっているのが

水戸学。

 

テレビ番組でおなじみ

「水戸黄門」

の主人公・徳川光圀公が

編纂した歴史書

 

『大日本史』

 

を始まりに、

 

天皇を中心とする

国家の体制を取るべき

とする思想です。

 

水戸学は神道の影響が濃く

 

水戸で育った慶喜公の

頭には

 

「国譲り神話」

 

のことが当然あったと

推察されます。

 

徳川慶喜公は

西洋文化に積極的に

なじんだ人でしたが、

 

同時に

最後の将軍として

 

オオクニヌシの

命(ミコト)を、

 

オオクニヌシの

使命・お役目を

生きた方だと

僕は思います。