大阪の出版記念講演会で、

スタッフをしていただいた
お二人をご紹介します☆

 

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▼堅実なお仕事ぶりの「ようこ」さん。いつもお着物姿がかわいい

▼ゴスペル、ジャズなどの歌い手「のびー」さん

スタッフお務めいただき

ありがとうございました!

 

さて、今回は

神道の鏡について。

 

代表的なご神体として

知られます。

 

天照大神は

この鏡を

 

「私=天照大神」

 

と思いなさいと、

地上を統治するべく

降臨する

 

孫神ニニギノミコトに

鏡を託しました。

 

三種の神器の鏡です。

 

ここから

鏡=天照大神

とも言われるのですが、

 

もし鏡が神宿る

ご神体だとしたら、

 

鏡にうつるあなたこそ

神そのものです。

 

ここから、神道とは

 

・神=自分自身である

 

・私もあなたも天照大神です

 

とする教えではないかと

「推測」されます。

 

そう、実は

 

「みんなアマテラス」

 

なんです。

 

ただ神道に教典は

無いので、

 

つまり絶対的な回答は

存在しないので、

 

あくまでひとつの

解釈とご理解ください。

 

その解釈のひとつに、

 

「かがみ」から

「が」を取ると

「かみ」になる。

 

というものがあります。

 

鏡ー我=神

 

人間から我(エゴ)を

取ると神になるってことで、

 

「なるほど!」

 

と思う人も多いようです。

 

ただ僕自身は、

これ違和感なんですね。

 

「なんでエゴを取るの?

だって、鏡にうつっているでしょ!」

 

ってことです。

 

鏡にうつっているのは、

 

神(かみ)の真ん中に

我(が/エゴ)がある姿。

 

それが自分自身です。

 

この自分自身を

自分自神と言い換える人が

いますが、

 

これは本当にうまいことを

言うと僕は思っています。

 

神(かみ)の真ん中に

自分という我(が/エゴ)も

ある姿をあらわすからです。

 

神道は

 

【神人合一】

 

を目指します。

 

神と人が合わさってひとつになる。

 

しかし、

 

我(が/エゴ)を取るって

ことは、人の部分を無くす

ってことでもある。

 

そうしたら、

 

【神人合一】

 

はできません。

 

だって神しかいなくなる。

 

人の部分が無くなるからです。

 

鏡は自分をありのまま映すもの。

 

その、鏡にうつる自分から、

「我(が)」だけを消すのは、

 

「見たくないものを

無かったことにする」

 

のと同じこと。

 

「私はエゴが無い」

 

と断言する人は、

必ずエゴがあった。

 

でも自身にある

エゴの存在を認められない。

 

こういう人は、

自分に自信が無いのに、

そのことを認められないんです。

 

自信が無いのに

それを認められないと、

 

余計に強気になり、

余計に人をおとしめ、

余計に自分を良く見せる。

 

別に自信なんて無くていい。

 

世の中に存在する

大半のことに関して、

僕だって自信はありません。

 

で、そのことを

自覚している。

 

しかし、

自信が無いことに

対して、

自信があると

自分や周りに装うとしたら、

自分や周りに言い聞かせるとしたら、

 

無駄に強気になり、

無駄に人をおとしめ、

無駄に自分を良く見せる。

 

誠実にコミュニケーション

することなんて不可能でしょう。

 

嘘偽りの自分で生きる

人生になるってことです。

 

だいたい日本神道の神様って

多くはエゴばりばりですw

 

それは古事記や日本書紀を

読めばわかること。

 

だから、

我(エゴ)を取ると

神になるなんてことは無い。

 

そうではなく、

鏡にうつる

我(エゴ)を認めればいい。

 

それだけのことなんです。

 

あると認めたら、

 

【神人合一】

 

する。

 

それはメンタルブロックの

扱いと同じこと。

 

そんなブロックは無いと

していたら、

いつまでも合一しない。

 

いつまでも、

無駄に余計にあり続ける。

 

もし、それがあるのに、

無いとしているのなら、

それは原因不明の何か

として扱われる。

 

それでは恐怖にも
なるでしょう。

 

しかし、あると認めたら、

そのメンタルブロックは

変容し、自分と一体化する。

 

嘘偽りのない自分に

一歩近づくってことですね☆

 

嘘偽りのないとは、

周りに正しい人と

思わせることでは無い。

 

自分の中に、

エゴや醜いとされる部分が

「ある」

と認めることなんです☆

 

あるものはあるし、
無いものは無い。

あるがままを示すのが
鏡の役割ってことですね☆