先日、ツアーで

ある神社を参拝したとき、


ツアー参加者の皆様に

 

「これから間違った

参拝法をします。
正しくはこうです。しかし、

違うことをやります」

 

と宣言してご案内しました。

 

そのときの感想を書いて

くれた方がいた。

 

滋賀県でアクセスバーズの
サロンをやっている

そうですが、

なんだか存在感ある

コンビだったよ☆

↓↓

「正しい」とされることと

違うことをやるんだから、

 

「なぜ、そうするの?」

と疑問に思う人もいるでしょう。

 

何より他人に言われなくとも
自分自身がそう思う^^

 

その根拠は何?

 

って。

 

解説はした。

 

なぜそうするのか、

理屈を解説しました。

 

でも、正式の回答

とは違う。

 

いくら理屈をこねても

正式には間違いなのだ。

 

堂々と間違うには、

最終的には

こう思う必要はある。

 

「根拠は私です」

 

正しいという根拠は、

私がそう思うから、

そう感じるからだと。

 

何か主張をすると、

 

「ソースは?」

 

と定番のように

聞かれる質問がある。

 

情報源は?

 

ってことで、

 

論文だったり、

公式情報だったりが

示されます。

 

情報源にふさわしいのは

 

「事実として確かなこと」

 

です。

 

その多くは客観的な

ことですが、実は

OKな主観もあります。

 

それは

 

「私がそれを見ました」

「私がそう聞きました」

 

つまり目撃者です。

 

そして体験談です。

 

私がそう体験して、

そう感じた。

 

これも立派な

ソースです。

 

私がそう体験し、

そう感じたことも

 

「事実として

確かなこと」

 

もちろん、

他の人の同意を

えられるかは

また別のはなし。

 

それぞれの体験があり、

それぞれの感じがある。

 

それでも自分に確信が

あるなら、

 

教会から有罪判決を

受けたときの

ガリレオ・ガリレイ

のように

 

「それでも地球は回っている」

 

と言うしかない。

 

それに、

 

みんなが同じ正解で

ある必要も無い。

 

90人の正解とは

別の10人の正解

だってある。

 

与党がいて

野党がいるようなもの。

 

堂々と間違おう☆