影響力ある人が、

なぜわざわざ神社に行くのか?

 

影響力が大きい人なら、

神社参拝だの開運の秘術だの

やらなくとも

 

その影響力で、自分の

やりたいこと、望む

ことができます。

 

普通にしていればいいし、

関係者にはたらきかけて

説得なりすればいい。

 

報道にあるように、

政治家もよく会食して、

根回しをし、動きを

つくっている。

 

それでも

影響力ある人物が

神社に行くのは、

 

自分のやろうとしている

ことが、正しいことなのか

わからないから。

 

未来のことは

「やってみるまで」

どんな結果が出るか

分からない。

 

分からないからこそ、

人は迷うわけですが、

 

影響力ある人の決断は、

影響力あるだけに、

 

多くの人の運命を

大なり小なり左右する。

 

莫大な投資が必要な

新規事業をするか?

 

敵対的な国家に対し、

どのような判断をするか?

 

飛行機をハイジャックした

テロリストから

身代金を請求されたら?

 

災害対応や原子力発電に

ついて等々

 

その中で、神社に

参拝して手を合わせるのは、

 

「誓約」(うけい)

 

です。

 

誓約(うけい)は、

 

「もし自分の判断・決断に

誠ならざるものがあれば、

どうぞ罰してください」

 

という意味があります。

 

私の判断が、

神様に照らしてみて、

誠実であれば実行を

応援してもらう。

 

もし不誠実であれば

人々のためにならないと

いうのであれば、

どうぞ邪魔してください、

ということですね。

 

「影響力ある人」

 

僕の本のタイトルに

あるような

 

 

「成功している人」

 

は、なにか自分の

願望を叶えたいから

参拝するわけではありません。

 

だってもう

成功しているしね^^

 

成功しているからこそ、

影響力あるからこそ、

 

おのれの力をどう使うのか、

使っていいものかどうか、

 

「誓約」(うけい)

 

をしに神社に参拝する。

 

今月は新しい総理大臣が

生まれましたけど、

 

仮に僕自身が、

菅さんのような立場で、

総裁選に立候補しない

かと迫られれば、

 

神社に「誓約」をしに

いったと思います。

 

何も「総理にしてくれ」と

願うわけでは無い。

 

自分にその器があるか?

 

重責に応えられるだけの

気力・体力があるか?

 

あるのであれば、

後押しして欲しいし、

 

無いのであれば、

邪魔して欲しいと、

 

このような事を

ご神前で心の中で

唱えたことでしょう。

 

神様は使い魔

じゃないのでね。

 

こっちの言うことを

ただ聞いてもらう存在

では無い。

 

頭を下げて

相談したり、

時に審判を仰いだりする。

 

と僕は思っているし、

 

古来からの

成功者・影響力ある人達の

多くは、

 

そのように思っていた。

 

つまり、神々を

 

「理」(ことわり)

 

のようなものと捉えていた。

 

現代風にいうと、

 

宇宙の原理

宇宙の法則

 

影響力が増すと、

その判断は個人のものでは

無く、全体のものになる。

 

だからこそ、

 

全体の声を聴く

必要があるけれども、

 

全体の声は

ともすると

見えません。

 

みんなの声が

聞こえるわけ

じゃないし、

 

声の大きい人が

全体を代表している

わけでも無い。

 

全体の声を

公平公正に聴く

場所として、

 

自分自身が

全体の声を聴ける

心身をつくる場

として、

 

神社は非常に有効な

場所なのです。