「神様に愛されるには?」

 

そんなテーマで書いてくれと、

出版社から、2回は依頼

された記憶があります。

 

定番のテーマなのでしょう。

 

この問いに

ひとことで返答するなら、

 

「参拝客はみんな愛されて

いますよ」

 

ただ、その

愛を受けとれるか

どうか、

 

実感できるか

どうか

 

ってなると、
人によって違いが

あるんでしょうね。

 

たとえば

地元の人の方が

受けとりやすいとか。

 

このテーマを

語るにあたり、

 

先日の奈良御所市ツアーで

おもしろい人がいた。

 

神社へのおまいりが日課の

なおこさんって人。

 

リブログしちゃおう☆

よく僕のツアーにご参加

くださる、

 

おおのりえさん

 

なおこさんの

敏腕マネージャー

のごとく^^

 

「いま、推している人」
 

だと、僕に紹介

してくれました。

 

すーごい楽しそうに

参拝している人だった

んですよ。

 

大きな声をあげるとか

では無く、

むしろ静かですが、

 

境内で

ニコニコ〜っ

とひとりベンチに

座っていらっしゃる様子とか、

 

「神様の愛を存分に

受けとっている」し、

 

それとセットで、

 

本当にこの人、

神社や神様がお好きなんだなあ、

愛してらっしゃるんだなあと

伝わってきました。

 

そして感覚もやっぱり

鋭くいらっしゃって、

 

たとえば以下は

高鴨神社さんの

感想なのですが、

 

「刃を振り下ろされた」と。

 

刃、金属としてお感じに

なられたようですが、

 

「まさにまさに」

 

というのも、

高鴨神社さんの

ご祭神

 

アヂスキタカヒコネ

 

は神話では長い刀を

振り下ろし、

 

刀剣、金属の特に鉄器

を神格化した神様だと

言われています。

 

だから

 

「(金属の)刃を振り下ろされた」

 

ってのは

まさにまさに

なのです。

 

元のテーマに

戻ると、

 

これは僕自身の

思いだけど、

 

神社に参拝していて

 

「神様に愛されたい」

 

っていう気持ちは、

もちろん分からくも

無いのですが、

 

なんて言うか、

 

まず、

そんなことより

先に好きになって

ましたけどね。

 

(なんだ、この恋物語

みたいな書き方は!)

 

「はー、いいなあ!」

 

と。

 

地元の人が

神様の愛を

受けとりやすいのは、

 

なじみがあるからこそ、

 

地元を愛するように、

神社のことも自然と

親近感をもって

好きだからこそ、

 

ごく自然に

神様の愛を受けとる人

が多い。

 

そして僕自身は

いつしか

 

参拝していて、

 

目には見えないけれど、

何かがいらっしゃると

実感することになった。

 

目には見えないけれど、

 

「生きているし」

 

「意志がある」

 

そう感じたら、

さらに感動だった

んです。

 

好きな対象、

愛する対象として

より明確に

実感することができた。

 

そして

神様は自分と

けっして

 

「異なる存在」

 

ではありません。

 

だって、つながっているもの。

 

分かれているけど、

つながっている。

 

神社で出会った神様って

 

別の存在でもあるけど、

同じ存在でもある。

 

神様という海の中で、

あなたも私もその

ひとしずく

なんです。

 

だから

 

神様を好きとか

神様を愛するという

感覚は、

 

自分自身を愛する

感覚とも重なります。

 

参拝する人達はみな、

 

僕もあなたも

 

「神様という海」

 

のひとしずくなの

ですから。

 

そして言葉で解説は

しましたが、

 

ただ楽しく参拝していれば、

 

ただ神社の空気感を

「いいなあ!」と

味わっていれば、

 

それだけでもう

満足してしまう。

 

必要にして十分。

 

あとは好きに

動かしてくれれば

 

僕自身、

好きに動いていけば

それでいいんです☆