泰三さんが、5月3日の告知を

していた。

 

5月3日って憲法記念日なんです。

知ってますよね^^

 

でも、この日が

「国の成長を期する日」

だとは僕は知らなかったなあ。

 

↓くわしくは泰三さんブログ↓

日本国憲法、

子供の頃は誇らしかったですね。

 

小学生までは。

 

でも中学・高校となると、

 

現状に合ってないんじゃいか?

 

とか

 

連合国の占領下でつくられた

憲法なので、もう一度、

日本人の手で書き直すべき

じゃないか?

 

とか

 

思ったものです。

 

で、今は

 

「細かい修正や

追加した方がいいものは

あるかもしれないけど、

大筋・大枠はこれでいい」

 

と思っています。

 

憲法改正は

大がかりな手続きが

必要なので、

 

よほど機運が盛り上がらないと

できません。

 

僕は今この世界の状況を

見て、ますます

 

「この憲法でいいじゃないか。

時代に合ってきたじゃないか」

 

と思ってます。

 

単純に、もう戦争しないでしょ。

 

だって海外との旅行はストップ、

留学や出張もストップです。

 

それで戦争とか無いわね。

 

実際、リビアでは

内戦が中止となりました。

 

<新型コロナ>戦争している場合じゃない? リビアが一時休戦受け入れ

 

外に構っている時じゃない。

 

それは個人に当てはめれば、

 

自分に集中する時期だし、

 

人との付き合いも

見直す時期です。

 

戦争のような

争い事の停止だけじゃない。

 

交流だって停止です。

 

大して興味の無い

人的交流をする口実は

無くなったでしょう。

 

前述の泰三さんブログで、

こんなことを書いていた。

 

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これはぼくの感覚的なものなので、たしかな根拠があるわけではありませんが、たしかに5月は一つの節目になると思います。

なんというのかな、「今動けば、まだ間に合うよ」という感覚です。

色んなものを手放して新たなステージに移るときです。

言い方変えると、「もういい加減に肚をくくるとき」ですね。

 

春は冬から一気に「氣がちがえる」季節。

この氣の変化に順応できないと、ちょっと後が大変だと思っています。6月から動き出すと、遅いかもという感覚があります。

 

(中略)

 

ここまで変わらざるを得ない流れの中で、まだ変わる気がなかったらいつ変わるの?とは思う。

 

(中略)

 

動きたくなければ動かなくてもいい。

変わる必要がないと思ってるのであれば変わらなくていい。

 

でも

やめたいと思ってること、

やりたいと思ってること、

やんなきゃと思ってること、

 

そういった思いがあるなら、行動に移したほうがいいでしょう。

できれば5月までだとぼくは思ってる。

実際、ぼくも5月までにあることをひと通り済ませたところ。

これで一気に世界が移行します。

 

ぼくは行動を先延ばしにすることを「ゆる~くフリーに」とは思ってなくてね、むしろその逆。

 

やりたいことにさっさと取り組むことがゆる~くフリーだと思っています。

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この上記の泰三さんの

意見には同意です。

 

ここまで変わらざるを

得ない流れの中で、

まだ変わる気がなかったらいつ変わるの?

 

と。

 

ただ、そんな簡単に

 

「はい、変わりまーす」

 

ってできない。

 

最近、有名な

YouTuberさんが、

 

4月下旬から6月上旬

までのアリーナツアーを

全て中止すると発表していた。

 

すごいな、と思いましたよ。

 

同時にどれだけの負債を

抱えることになるのかと、

他人事でも恐ろしい。

 

ギリギリまで

 

「何とかなるんじゃないか」

 

って粘るのが、

ふつうの人間です。

 

それがこの決断をできるのは、

大きく尊敬するし、

 

同時に、ごく一部の人しか

できない決断でしょう。

 

「破滅」が誰の目にも

見えているからです。

 

今まで築き上げてきた

ものが大きければ大きいほど、

 

そんな簡単に変わると

決められない。

 

変わると決めるには、

流す血が多すぎます。

 

自分の血だけじゃない。

周りの血だって流す。

 

同時に、

 

大きなものを築いてきた人ほど

そこには大きな愛がある。

 

その大きな愛で、

大きな血を流せる決断を

できる人達もいます。

 

たとえるなら、

イエス・キリストの

究極の自己犠牲

 

「磔刑」

 

です。

 

それは凡人にできる

ことでは無いし、

他人にそうしろと

言えることでも無い。

 

もうひとりの人間に

 

「磔刑」

 

とか、させちゃいかん。

 

そして、

 

背負っているものが

少ない人ほど、

 

背負わせているものが

少ない人ほど、

 

「ゆる〜くフリーに」

 

決断できます。

 

大きな時代の流れとして、

 

「背負っているものを

おろしていっていい」

 

と感じるのです。

 

ひとりの優れた人に、

ひとりの偉大な人に、

 

大きな責任を、

多くの他人の人生を

背負わせることは、

 

もう無くなって

くるんだろうなと。

 

そんな特別な人じゃなくとも、

他人の何かを背負うことがある。

 

でもそれもやっぱり

 

「背負っているものを

おろしていっていい」

 

そして、

 

自分の荷物は持つ。

 

自分の叶えられない夢を

他人に託して背負わせる

ことはやめる。

 

この全体の流れ、

早い人は2018年から

起こってたんです。

 

「背負っている他人の

ものをおろす」

 

「誰かに背負わせている

自分のものを背負う」

 

アドラー心理学の

 

「(自他の)課題の分離」

 

がベースです。

 

今この時、

 

やりやすくなりました。

 

「背負っている他人の

ものをおろす」開放と、

 

「誰かに背負わせている

自分のものを背負う」責任

 

です。