僕のこの本を

読まれた方

 

 

・芸術と直感

 

・芸術家と直感力

 

関係あるんだなあ〜

と感じていただけた

かと思います。

 

たとえば

イラストを描くスキル

がある人がいて、

 

「こういうイラストを描いてくれませんか?」

 

と顧客のニーズにお応え

するのと、

 

「ただ描きたいから描く」

 

は心の動きが違いますよね。

 

前者はビジネスです。

 

僕は会社員時代、

デザイナーさんと

よくタッグを組みました。

 

・インハウスデザイナー

 

・プロダクトデザイナー

 

そんな肩書きで

呼ばれる人達です。

 

顧客のニーズを引き出す。

 

顧客も自覚していない

ニーズを発見する。

 

僕はそのお手伝いを

していたのでした。

 

あなたの要望を

満たします。

 

あなたの願望実現の

お手伝いをします。

 

これはビジネスです。

 

一方、アートとは

「衝動」であり、

「ただの純粋な思い」

 

なのだなと、

 

先日、写真真ん中の女性

アーティストのChieさん

とお話して改めて気づきました。

 

 

家事を余裕をもって

しようとする時に、

 

chieさんは

 

「衝動」

 

を感じて

アトリエに

行き、作品をつくる。

 

で、戻ってきて

家事をされたそう

ですが、

 

その

 

「衝動」

 

を表現する時間は、

ちょうどあって、

 

ピッタリの時間に

戻ってこられる。

 

あるいは、

 

Chieさんは

美大出身ですが、

卒業して10年以上、

絵筆を握らなかった。

 

なぜなら、

 

子供が無心に紙に

絵を描く感じが

わからなくなったと

感じたから。

 

しかし10年以上の時が

経って、偶然

 

子供達が絵を描く

先生役をすること

になった。

 

子供達に、

自分たちの素直な

感じ・感覚を

表現させていると、

 

「先生も描いて!」

 

と言われて、抵抗したのだけど、

久しぶりに描いた。

 

そこから、

芸術の道に戻り、

芸術家として歩む

ことになった。

 

自分の描いた作品を

買ってくれる人が

出てきた。

 

でも、絵の先生はやらない。

 

会員組織には加わらない。

 

スポンサーはもたない。

 

自分の衝動で、

自分の直感で

描いた作品だけ。

 

その作品を購入して

くれる人がいて、

それで生活の糧を

まかなえるようになった。

 

「ただの自分」

 

の感覚を磨き、

あるいは守る

ことにすごく

厳密な方だなあと

感じる時間でした。

 

もちろん

ビジネスの世界に、

アートで来られても

困ります。

 

「私のやりたい事を

好きにやらせてもらいます」

 

そこまではいいけど、

それは他人に認めて

もらうことじゃない。

 

そのままのあなたで

良いよと、

 

誰かに認めてと

「要求」するのなら、

 

「認めてもらうこと

自体が目的」なら、

承認欲求が肥大しすぎです。

 

同時に、

 

そのままの自分で

生きている人に、

人はあこがれ、

そのサポートをすべく

お金を払いたくなる

ものです。

 

「私のやりたい事を

好きにやる人」

 

は他人を見ていない。

 

自分しか見ていない。

 

で、これは結構難しい

ので、そんな自分自身

であることを

ストイックに追求する。

 

子供が無心に紙に

絵を描く感じが

わからなくなったと

感じたら、絵筆は

握らないわけだから。

 

自分のなかの

”衝動”がわかなかったら

創らないわけだから。

 

顧客のいる仕事は

そうはいきません。

 

依頼があったら、作る。

 

もちろん

それで良いし、

それがビジネスです。

 

だからこそ、

顧客第一では無く、

自分の衝動を第一に

する

 

「アーティスト」

 

にデザイナーさん達も

 

”あこがれ”

 

とか、

 

”大変だよな”

 

とか、

複雑な気持ちを

持ってらしたように

思います。

 

今の時代、

 

Chieさんのような

 

「アーティスト」

 

「アーティストの生き方」

 

は特殊な人だけじゃなく、

多くの人が参考にする

ようになってきました。

 

なぜなら、

 

顧客も自分の

やりたいことが

わからない。

 

顧客もどうやって

富を生み出せば

いいのかわからない。

 

だからです。

 

それは顧客の

責任では無く、

 

われわれ

ひとりひとりが

 

「欲しいモノが特に無くなってしまった」

 

から。

 

便利な世の中で、

必要なモノが

無くなってしまった。

 

あえて言えば、

 

「休みたい」

 

じゃない?

 

でも働かざるもの

食うべからずと

ばかりに、

働いて収入を得よう

とするわけだけど、

 

その収入は、

誰かのニーズを

満たすことで生まれます。

 

誰かの欲しいモノを

提供することで生まれます。

 

なのに、

 

「欲しいモノ無いです」

 

おーい!

 

どうする?!

 

結果、現代は

 

「要らないものであふれる世の中」

 

になりました。

 

OSやアプリに

アップデートなんて

必要ありません。

 

でもアップデート

しないと多くの人が

食っていけない。

 

だから不満ばかり

つのるアップデートが

ひんぱんに行われる。

 

どこへ行っても

代わり映えのしない街が

できあがる。

 

もし欲しいモノが

あるとするなら、

それは

 

「まだ見ぬ

新しいもの」

 

何が欲しいかなんて

わからない。

 

だから自分の心が

動く何かを誰か

つくってくれ!

 

それができそうな人達

といったら、それは

 

「アーティスト」

 

なのじゃないでしょうか。

 

ビジネスが

アートにすり寄って

きている世の中です(笑)

 

これまでは

アートがビジネスに

すり寄っていた。

 

やっぱり食っていけないし、

ビジネスはお金を生み出す

わけだから。

 

でもその構造は

変わってきました。

 

そしてもうひとつ

大事なこと。

 

ビジネスの傘下に

いるアーティストは

苦境におちいるように

なってきた。

 

それこそ芸人さんの

世界も、大きな傘の下

にいるより、自分の傘

をつくった方が

 

「おもしろい」

 

よね。

 

芸人さんて、

売れるには

芸を磨く必要があるけど、

売れてしまったら、

その磨いた芸は

「不要」

になる。

 

おもしろい人が

売れるけど、

 

売れたら

おもしろさは

要らないって、

変ですよね。

 

だって、おもしろいものを

僕たちは見たいんですよ。

 

だったら、

僕たちひとりひとりが

おもしろいものを

つくっていく。

 

それが”令和”でしょう。

 

美しいものを、

私たちが

見たい、聞きたい、

感じたいものを

 

自分たちの愛で、

自分たちの力で

 

つくっていきましょう!

 

何か演説になってしまったw

 

直感を磨きたい人、

令和の時代の生き方を

実感したい人は、

 

「アーティストの生き方」

 

がヒントになるでしょう。

 

Chieさん、

最近カンボジアに小学校を

建てられました☆

 

▼このブログとか

超直感の見本ですね。

 

私がした決断