先月、ひさしぶりの

レイドウレイキの研修を

おこなったのだけど、

その時に受講生の皆様に

定番でお話したことがあります。

 

レイキでは宗教ではありません。

 

という文言がテキストにあって、

それを読み上げたのですが、

これ、レイキに限らず、

スピリチュアルあるあるですよね。

 

なんだったら、

心の分野や自己啓発全般に

言われることでもある。

 

コーチングの世界でも

聞いたことです。

 

だから、こういう活動をする前に、

僕は考えたわけですよ。

 

「宗教ですか?」

 

と聞かれたら、

どう答えようと。

 

結局、今だ一度も質問される

ことはありませんでした。

 

それで、

ご受講の皆様に

「勝手に回答」

したのです。

 

誰にも聞かれないのなら、

オレから言ってやる!

 

ってこと(笑)

 

その回答は、

 

「はい、

ご承知とは思いますが、

神社は宗教です。

 

私は神社神道の信者です。」

 

レイキ関係ないやん。

 

よく誰もツッコみません

でしたねww

 

僕の認識はこの

回答の通りです。

 

「神社神道」

と表現している

言外の意味は、

 

「古神道には

タッチしていません」

 

ということ。

 

古神道の看板を使うほど

造詣が無いのでね。

 

いつか興味が出て

勉強するかもしれませんが。

 

「信者」という言葉を

別の言葉に置き換えると、

 

「応援団」です。

 

僕は神社を

応援しているし、

 

神社にお祭りされる

神様を応援しています。

 

「ファン」と表現するのも

適してますね。

 

僕が神社の書籍を書いたのは、

 

ディズニーランド大好きな人が

ディズニーランドの書籍を書いたの

と同じことです。

 

ただ、

 

神様の方が僕を

応援しているかは

「知りません」(笑)

 

何かを応援している人間が、

 

「応援している対象から、逆に自分が応援されている」

 

とか意識しないなあ。

 

もし物理的な

 

「結果」

 

が僕に出ているとしたら、

それは人々の、

皆様の応援でしょう。

 

僕が感じる

「神様の思念」

って、たとえるなら

 

「赤ちゃん」

 

純粋な思念です。

 

もし赤ちゃんに

好かれたり、

接したりしたら、

それ自体が

 

「喜び」

 

になって、

「心洗われる感覚」

になりますよね。

 

本当の神社好きは、

ただその

 

「心洗われる感覚」

 

が好きだから、

神社に行くんじゃないのかなあ。

 

そして僕がやっている

ことは、

神社に参拝した

 

「人間」

 

の分析です。

 

特に社会において

神社や神様が

どのような役割を担い、

位置づけられ、

影響を及ぼしてきたかを

分析しています。

 

データを集め

文献をひもとき、

 

時に、

直感的な感覚も使いながら、

分析しているのです。

 

直感だって

5人分も集まると、

社会をひもとくデータに

なりえます。

 

学術研究だと、

インタビューデータなら
30人近く集めるけど、

実際は5人も話し聞けば、

かなりわかる。

 

5人共通の感覚があるなら、

それは大いに参考になると

いうことです⭐