*2019-10-18の投稿を再掲。アメブロさんが3年前の10月に書いたよと推してきたので😆
こちら改めてお知らせです。
【神社 × メンタル最強コラボの実現!】
今月下旬にMACOさんとの対談本が発売されます☆
タイトルは『ネガティブでも開運する神社参拝』
【ネガティブ×神社=開運】ですね^^ 我ながら良い内容、面白い作品になりました。
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MACOさんファンも楽しめると思います。「引き出し役」がいると、また違った顔が出てくるものですが、今回はMACOさんの引き出し役を、僕の方で担当しました。
もちろん「神社」が大きなテーマなので、そこは僕がまとめをお話し、MACOさんに引き出し役になってもらいました。神社参拝はMACOさんにとって純粋な趣味ですから、神道の知識では無く、おのれの素朴な感性で、神社について参拝について語られています。
それがすごく良かった。
相当クオリティ高い本になったと確信しています。是非お手に取っていただければ幸いです。
さて、本題。
『天気の子』を鑑賞してきました。大ヒット映画ですが、さすがにもう空いてきたので、ゆっくり鑑賞できた。
うーん、サルタヒコだね、新海監督は。
サルタヒコのエネルギーがどういうものなのか、すごくよくわかる映画でした。
そして「天孫降臨」の神話だった。サルタヒコが太陽神アマテラスの孫神ニニギを連れてくる神話です。新海監督がサルタヒコになって、天孫ニニギが降臨する道開きをした映画だと解釈しました。
たとえば、主人公たち=観客が感情移入する対象は、イザとなったとき交通ルールとか公務の執行とかめっちゃ無視してるでしょ?
やりすぎなんだよと不快になる人もいそうだ。ハリウッド映画なんて人殺しまくるし、道路でもハチャメチャにやりますが、日本人とか日本の子供がそれをやるとイヤに感じる人って、少なからずいらっしゃいます。
青信号は進んでよし、赤信号は停止ですが、これはなぜ守らなくてはいけないのでしょうか?
日本の道路に信号ができたのは、1930年(昭和5年)からのようです。それ以前は警官が道路に立って交通整理をしていたのですが、それも大正時代になってからです。
自動車の往来がひんぱんになってからできたルールですね。
こういうルールは、明文化されたものから暗黙のものまで、法律で定められたものからそうじゃないものまで沢山あります。
いっけん自由そうな世界、たとえばスピリチュアルやセミナービジネスの世界でもあります。自由人そうに見えてルールをきっちり守る人はいるし、逆に自由人として振る舞うことがルールだったりもする。
どういう業界にいても、その世界独特のルールがあります。
が。が。信号や警官による交通整理が無い時代もありました。ルールは必要だからできましたが、「絶対」というわけではありません。
赤信号でも渡ろうと思ったら渡れる。
既存の枠組み、既存のルールは変えられる。
サルタヒコはそういうエネルギーです。これが実は「道開き」のひとつの側面なのです。
道祖神=サルタヒコといわれて、道の要所要所に道祖神が祀られていますよね。
これは私見ですが、
そもそも全て私見のような気もしますが、
「道祖神=サルタヒコ封じ」
でもある。
サルタヒコは既存の道を守らない、無視しちゃうのでね。道を守るためには、サルタヒコを封じる必要があるのです。
天孫降臨神話のその後だってそう。サルタヒコがいたら、また別の天孫に代わりうるものを連れてくるから、天孫サイドとしては封じる動機があったんだよね。だからサルタヒコは伊勢で死んでしまう。
新海監督の作品は、昔から「全体よりも、個を優先する」という明確なコンセプトがありますよね。『天気の子』でも、それは変わらない。
天気の巫女は「人柱」として天に差し出されてきました。ようするに人身御供。天気の巫女を犠牲にすることで、この世は平安になるという考え方です。
これは「個よりも、全体を優先する」というコンセプトです。滅私奉公。個を犠牲して、全体が繁栄する。
それに対して、しつこい位に毎回「NO!」を突きつけるのが新海作品です。
子供を主人公にすると、それが特に浮き彫りになりますよね。大人だったら逃げちゃう(笑)。「おれは犠牲にならないよ〜サイナラ!」みたいな、ね。でも子供だと逃げられない。逃げさせてもらえない。だから真っ向対峙することになります。
すごく良い作品でしたね。
サルタヒコの本質やエネルギーを知りたい人には、すごいおすすめの作品です。
あなたにも天孫が降臨するかもよ?