賢者の知恵を勉強することは、良いことだと無条件に思いがちです。

古代からの聖人の知恵、

あるいは現代でも人は多くの人から学びます。

ただ、僕自身はいわゆる「精神世界」「スピリチュアル」と呼ばれる分野に足を踏み入れたとき、

「これは勉強してはいけないやつ」

と直感することがありました。

机上の勉強はよろしくない。

学ぶのであれば「身体」で学ばないと、と。

それは、人間はふつう「表と裏」が一致していないからです。

表=人前では、「私は良いひと・優れたひと・正しいひとです」と見せようとします。しかし、裏=実態が伴っているとは限らない。というより、伴っていない確率99.9パーセントでしょう。

たとえば男性であれば「私は女性にもてます」と見せたいものです。

ある女性Aさんとの思い出を語るとき

「Aさんに、誘われました」

と人には言い、

でもAさんから聞く事実は

「彼から食事に誘われたけど、断った」

これ、表と裏が一致していない状態です。

それが悪いというわけで無く、まあ人間はそういうものです。

こんな表と裏が一致していない状態で、

「賢者の知恵」

は、おいしいごちそうです。

学ぶほどに、口がなめらかになり、表はどんどんよく見えるようになっていく。

でも、事実=裏は何も変化していない。

表と裏が一致していない状態で賢者の知恵を学ぶと、学ぶほどに表と裏のギャップがどんどん拡大していくのです。

これを「エゴの増大」といいます。

だから、まず表と裏がなるだけ一致してから、

つまりは、表向きと実態が一致してから、それから賢者の知恵を勉強すると、実になります。

表と裏の一致が何より大事。まずは「ここから」であり、そしてここが「たどりつく場所」でもある。αにしてΩってやつ。もう勉強もしなくともいい笑 しなくていいけど、他人に説明する時に勉強は役立ちます。

また、「身」(からだ)を使って学ぶと、エゴの増大は生じにくい。なぜなら、事実=実態が身体を通してあらわれるから。

あぁまだ自分は全然ダメなんだなあ、ということも、あるいは自分はすごいんだな! ということも、ごまかしくなく現れやすいのが、身体の学びです。

足が速いとか遅いとか、ごまかしようが無いですからね。

「写経」なんてのも、身体をつかって実践するので、なかなか良い方法ですね。

でも、「頭で」賢者の知恵を学ぶと「受け売り」が可能になる。実態をごまかせるんです。

だから、宗教界もスピリチュアル界も、知識から入ると、まず失敗します。エゴが増大する結果しか招かない。

もし自分の「現在位置」がごまかしようもなく正確にわかる方法があれば、その宗教なりスピリチュアルなりは、真の進化の道を歩ませてくれるすばらしいものでしょう。

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