おはようございます。

令和最初の投稿、ということになりますね。

時代の幕開けにふさわしく、今回は明治維新を成し遂げた志士たちにまつわる神社をご紹介します。

維新の志士たちを「神様として」お祀りする代表的な神社があります。

京都・東山の「京都霊山護國神社」です。

1868年6月29日(慶応4年5月10日)、明治天皇の命で、維新を目前にして倒れた志士たちの御霊をお祀りするお社が、京都・東山の地に創建されたのです。

ご祭神は、坂本龍馬、木戸孝允、中岡慎太郎、頼三樹三郎、梅田雲浜、吉村寅太郎、平野国臣、久坂玄瑞、高杉晋作、宮部鼎蔵ら幕末勤王の志士1,356柱です。

「神様が1,356柱もいるの?!それも、有名無名は脇に置いて、普通の人たちだよね?!」

そうなんですよ。

このような形式を「招魂社」といって、高杉晋作が始めたものです。高杉が創建した下関市の櫻山神社は、高杉が結成した奇兵隊隊員を主にした招魂場で、高杉の師匠である吉田松陰から、奇兵隊小者弥吉という名もなき者まで等しく祀られています。

京都霊山護國神社には、幕末の志士たちだけでなく、京都の護国神社として、明治以降の日清戦争、日露戦争、太平洋戦争などの戦死者を合わせ約73、000柱がご祭神としてお祀りされています。

そんな神様となった維新の志士たちが生きている間にお参りしたのが、神戸の湊川神社です。

湊川神社のご祭神・楠木正成公は、維新の志士たちのアイドルだったのです。

神社境内にある楠木正成の墓所には水戸黄門でおなじみ水戸光圀公が建てた墓碑があります。

吉田松陰、真木和泉、高杉晋作、坂本龍馬、西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文など数多くの志士たちが参拝しました。

吉田松陰は楠木正成公を崇拝し、 四回もお墓に参詣。墓碑の文字を松下村塾にかかげ、門下生にその精神を説いたほど。門下生たちにも当然影響が大きかったのです。

僕の母校・同志社大学の創設者である新島襄も、楠木正成公の墓碑にある文字を居間にかかげていました。

また坂本龍馬のように、湊川神社の和歌を残している志士もいます。

現代人には想像もつかないほど、幕末から明治にかけて楠木正成公は国民的英雄だったのですね。

江戸から明治へ、時代の幕開けを成し遂げた志士たちに愛された湊川神社。令和の幕開けにご参加のみなさまと一緒に正式参拝できること、うれしく思います。

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