さっき家族と電話していて「欲のある人」と話すのは楽しいという話題になり。

これは僕も正にそうだなと思うのです。

欲はみんなある。

その上で、その欲をどう表現するのか? 自分の中でどのように認めているのか? です。

欲が無いフリをしている人と話すのは、すごく疲れる。

話している最中は気づかないのだけど、話し終わった後、「どっ」と疲労感があって、「これは何だ?!」という事がある。

たとえば、そういう「無欲系」(?)の人たちからのオファーって、奪うだけなんですよ。

「私(たち)に貢献してくださいっ!」と、たくさん要求される。で、見返りは無いの。

「それ私にメリットあるんですか?」なんて聞こうものなら、メリットとかそういうことじゃない的な反応になる。

げっそりするよね。無償の愛って、要求したり強いたりするものなのだろうか? 仮にその人(たち)の要求するように何かしても、消耗するだけです。

そういう無欲系な考え方に転向した人たちのビジネスの調子が悪くなるのは、偶然では無い。

関わる相手に何らかのプラスをもたらそうとするのは、ビジネスの基本です。誰かにプラスをもたらす気の無い人に、お金を払う気になれなくなるのは自然なことでしょう。

無欲を装う人の害悪は、周りに無欲を強いてしまうところ。「見返り無しに私に何かして!」と要求する。自分自身は欲はあるのだけど、その多くを認めていないから、こういう横暴な態度になる。

無欲を装う人と関わることほど、物心ともに奪われるエネルギーも多いのです。関わる人みんな不幸にしていくよね。

だから、まず欲は健全に認める。そうしたら、関わる人から何かを無条件に奪うことはためらうはず。

ただ奪うのでなく、交換条件を用意するでしょう。

「ご飯食べさせて! 代金はこれだけ払う!」

と。

でも、自分の欲を認めてないと、

「ご飯食べさせて! え? お金を要求するの? 困っている人を助ける気持ちは無いの? それって人としてどうかと思う!」

となる笑

経済の基本は交換。共存して生きるのに大事なことです。

そして欲を素直に認めて表現する人は、話していて元気になります。プラスの何かを発しているから、相手をしていると、こちらも何かもらっているのでしょうね☆

★新刊発売のお知らせ

4万5000部突破!

成功している人は、どこの神社に行くのか?』(八木龍平・著/サンマーク出版)

全国の書店で発売中☆

ネットでのご購入はこちらから!