スピリチュアルというジャンルをふりかえってみると、

やはり20世紀や、21世紀も2000年代までは、特別な人、特別な能力の持ち主の時代でした。

ジャンルの創造主ともいえる江原啓之さんはもとより、スピリチュアルという言葉が出てくる以前に活躍した人物、メディアには出てないけれども草の根で活動していた人達、みな

「普通の人ができないことができる」

というのが特色になっていたし、もしそれが無いと、スケートのすべれないスケート選手みたいなものでした。

が、2010年頃から、「フツーの人」がにわかに注目を浴びるようになってきました。

そのハシリは、雲黒斎さんあたりからだと思いますが、不思議な体験はしているけれど、なにか特別な能力を示す事は、ぜんぜん無かった。

さらに2014年から、ふたたび脚光をあびてきた「引き寄せの法則」の伝道師たちは、「ごくふつーの私」というのが、むしろセールスポイントだったように思います。

それが僕には「ちょっと物足りない」と感じて、神様のことをストレートに表現することにチャレンジした位です。

僕自身さまざまなヒーリングメソッドやチャネリングなどの技術を習得するなかで、

・自分の意識が拡大して、面白い体験が増える

・いままでと違った視野が持てる

・仕事でプレゼンテーションやシビアな打ち合わせをする時の対処能力が上がる

・メンタルがより安定する

など、様々な効果を実感しました。

と同時に、「訓練可能」だということ。

別にフツーにビジネスや日常生活に応用できるし、空手や柔道がいろんな人に習得可能だというのと同じように、霊的な能力も習得可能であることを、実体験として知りました。

「私だけが特別なことをできます」っていう時代では、もう無いですよ。

泰三さんとも話しましたけど、服装とか外見も、フツーにしていればいい。

関西・夏のスピリチュアル祭りに登壇する4人も、みんな、ちょっと変わり者という程度で、ごくフツーの人達です。

「特別な人」の大きな流れもあるけれども、僕自身は、

ビジネスや日常生活にスピリチュアルの知恵をとけこませる。

このスタンスで、これからもやっていきます。

神秘のベールにつつんでいても、仕方ない。ぜんぶ開放して、「あ、使えるな」と思った人には使ってもらえればいい。

もったいつけて、だしおしみしてもしょうがない、というのも僕のスタンスなのです^^

そうそう、スピの良い面ばかり書きましたけど、限界はありますよ。

これは霊的な能力が上がることの限界とも同じなのですが、

人間性は高まりません。

人柄が良くはならない、ということ。残念ながら、ですね。

かえって感じ悪くなる、性格悪くなる人も決して少なくない。使える道具や知恵を手に入れて(あるいは手にしたと錯覚して)、傲慢になるのでしょう。

精神面での落とし穴は沢山ある。自分が今まで認識していなかった、きれいな面も暗黒面も引き出されやすい。そうすると、暗黒面の方が目立っていく人もいる。

そこも面白いところですけどね^^